でしょうよ」
と植木屋の老婆《ばあ》さんは勝手口のところへ来て言った。義理としても家内は断る訳にいかなかった。
その日から家内は一人ズツ子供を連れて駿河台まで通った。暑い日ざかりを帰って来て、それから昼飯の仕度に掛かった。信州の牧野君からは手紙の着くのを待つ頃であった。それを手にして見ると、「自分の子供の泣声を聞いたら、さぞ房子さん達も待つだろうと思って、急に手紙を書く気に成った――約束のものを送る」としてあった。私はこの友達の志に励まされて、あらゆる落胆と戦う気に成った。家内には新宿の停車場前から鶏肉だの雑物《ぞうもつ》だのを買って来て食わせた。この俗にいう鳥目《とりめ》が旧《もと》の通り見えるように成るまでには、それから二月ばかり掛かった。
翌年の三月には、界隈《かいわい》はもう驚くほど開けていた。この郊外へ移って来て、近くに住む二人の友達もあった。私の家では、四番目の子供も産れていた。はじめての男で、種夫とつけた。姪《めい》も一人郷里から出て来て、家からある学校へ通っていた。この月に入って、漸く私は自分の仕事を終った。
私も労作した。この仕事には、殆んど二年を費した。牧野
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