小さな新しい位牌《いはい》が一つ出来た。そのかわり、お繁の死は、私達の生活の重荷をいくらか軽くさせた形であった。まだお房も居るし、お菊も居る――二人もあれば、子供は沢山だ、と私は思った。
 どうかすると私は串戯《じょうだん》半分に家のものに向って、
「お繁が死んでくれて、大《おおい》に難有《ありがた》かった」
 こんなことを言うこともあった。私は唯自分の仕事を完成することにのみ心を砕いていた。
「子供なぞはどうでも可い」
 多忙《いそが》しい時には、こんな気も起った。何を犠牲にしても、私は行けるところまで行って見ようと考えたのである。
 郊外には、旧い大久保のまだ沢山残っている頃であった。仕事に疲れると、よく私は家を飛出して、そこいらへ気息《いき》を吐《つ》きに行った。大久保全村が私には大きな花園のような思をさせた。激しい気候を相手にする山の上の農夫に比べると、この空の明るい、土地の平坦《たいら》な、柔い雨の降るところで働くことの出来る人々は、ある一種の園丁《にわづくり》のように私の眼に映った。角筈に住む水彩画家の風景画に私は到る処で出逢った。
「房ちゃん、いらッしゃい――懐古園へ花採
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