て、道普請の為に高く土を盛上げた停車場前まで行くと、そこで日頃懇意にした多勢の町の人達だの、学校の同僚だの、生徒だのに出逢った。そこまで追って来て、餞別のしるしと言って、物をくれる菓子屋、豆腐屋のかみさんなどもあった。同僚に親にしてもいいような年配の理学士があったが、この人は花の束にしたのを持って来て、私達の乗った汽車の窓へ入れてくれた。その日は牧野君も洋服姿でやって来て、それとなく見送ってくれた。
「困る。困る」
 こう言って、お菊は泣出しそうに成った。この児は始めて汽車に乗ったので、急にそこいらの物が動き出した時は、私へしがみ付いた。
 やがて、ウネウネと続いた草屋根、土壁、柿の梢《こずえ》、石垣の多い桑畑などは汽車の窓から消えた。小諸は最早見えなかった。
 この旅には、私は山から種々ななものを運ぼうとする人であった。信州で生れた三人の子供は言うまでもなく、世帯の道具、衣類、それから毎日の暮し方まで、私は地方の生活をソックリ都会の方へ移して持って行こうとした。楊《やなぎ》、楓《かえで》、漆《うるし》、樺《かば》、楢《なら》、蘆《あし》などの生い茂る千曲川《ちくまがわ》一帯の沿岸の風
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