学校の小使に来て手伝わせたり、自分でも鍬《くわ》を執って耕したりした。そこには、馬鈴薯《じゃがいも》、大根、豆、菜、葱《ねぎ》などを作って見た。
 こういう中で、私は別に自分の気質に適《かな》ったことを始めた。それは信州へ入ってから六年目、丁度長い日露戦争の始まった頃であった。町から出る学校の経費はますます削減される、同僚の体操教師も出征する、卒業した生徒の中にも兵士として出発するものがある、よく私はそういう人達を小諸の停車場に見送って、悲壮な別離を目撃した。東京にある知人も多く従軍した。一年の間、この大きな戦争の空気の中で、私はある著作に従事した。
 種々《いろいろ》な困難は、猶《なお》、私の前に横たわっていた。一方には学校を控えていたから、思うように自分の仕事も進捗《はかど》らなかった。全く教師を辞《や》めて、専心従事するとしても、猶一年程は要《かか》る。私は既に三人の女の児の親である。その間妻子を養うだけのものは是非とも用意して掛らねばならぬ。
 とにかく、小諸を去ることに決めた。山を下りて、そして自分の仕事を完成したいと思った。
 岩村田通いの馬車の喇叭《らっぱ》が鳴った。私は
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