ることを説いた。他の医者が腸の悪い子供に禁物だというようなものでも、すべて好いとした。牛乳のかわりに味噌汁、粥《かゆ》のかわりに餅《もち》、ソップのかわりに沢庵《たくあん》の香の物……それから、この慷慨《こうがい》な老人は、私達が日本固有の菜食を重んじない為に、それで子供がこう弱くなると言って、今日の医学、今日の衛生法、今日の子供の育て方を嘲《あざけ》った。私は娘を連れて、スゴスゴ医者の前を引下った。煎《せん》じ薬を四日分ばかりと、菜食の歌を貰って、大久保へ帰った。
何となくお房の身体には異状が起って来た。種々な医者に見せ、種々な薬を服ませたが、どうしても熱は除《と》れなかった。時とすると、お房の身体は燃えるように熱かった。で、私も決心して、復た皆川医学士の手を煩《わずら》わしたいと思った。月の末に、学士の勧めに随って、私はお房を大学の小児科へ入院させることにした。
「母さん、前髪を束《と》って頂戴な」
熱のある身体にもこんなことを願って、お房は母に連れられて行った。私も、姪に留守居をさせて、別に電車で病院の方へ行って見た。病室は静かな岡の上にあった。そこは、三つばかりある高い玻璃窓《ガラスまど》の一つを通して、不忍《しのばず》の池《いけ》の方を望むような位置にある。私は本郷の通りでお房の好きそうなリボンを買って、それを土産に持って行ったが、室《へや》へ入って見ると、お房は最早高い寝台《ねだい》の上に横に成って、母に編物をして貰っているところであった。丁度|池《いけ》の端《はた》には競馬のある日で、時々多勢の人の騒ぐ声が窓の玻璃に響いて来た。
お房の枕許には、小さな人形だの、箱だのが薬の瓶《びん》と一緒に並べてあった。家内は、寝台の柱にリボンを懸けて見せて、病んでいる子供を楽ませようとした。
「仕舞って置くのよ」
とお房は言った。
私達は、部屋付の看護婦の外に、附添の女を一人頼むことにした。この女は私達の腰掛けている傍へ来て、皆川先生の尽力ででもなければ、一人でこういう角の室を占めることは出来ない、これは余程の優待であると話して聞かせた。
肩の隆《あが》った白い服を着て、左の胸に丸い徽章《きしょう》を着けた、若い肥《ふと》った看護婦が、室の戸を開けて入って来た。この部屋付の看護婦は、白いクロオバアの花束を庭から作って来て、それをお房にくれた。
「房子さん、好いリボンを頂きましたねえ――御土産《おみや》ですか」と看護婦が言った。
「仕舞って置くのよ、仕舞って置くのよ」
こうお房は繰返していたが、やがて看護婦から貰った花束を握ったまま眠って了った。
夕方に私は皆川医学士に逢った。お房の病状を尋ねると、今すこし容子《ようす》を見た上でなければ、確めかねるとのことであった。その晩から、私達はかわるがわる子供の傍に居た。
「父さん――父さん――父さんの馬鹿――」
こう呼ぶ声が私の耳に入った。私は、どうなって行くか分らないような子供の傍に、疲れた自分を見出した。それは病院へ来てから三日目の夜で、宿直の人達も寝沈まったかと思われる頃であった。
「父さん、房ちゃんは最早駄目よ」
熱の譫語《たわごと》とも聞えなかった。と言って子供の口からこんな言葉が出ようとも思われなかった。私は夢を辿る気がした。
「父さん、房ちゃんは……ねえ……」
その後が聞きたいと思っていると、パッタリお房の声は絶えた。その晩は私も碌《ろく》に眠らなかった。
次第にお房はワルく成るように見えた。山で生れて、根が弱い体質の子供で無いから、病に抵抗するだけの力はある筈《はず》だ、とそれを私達は頼みにした。どうかしてこの娘ばかりは助けたく思ったのである。入院して丁度一週間目に成る頃は、私も家のものも子供の傍に附いていた。大久保の方は人に頼んだり、親戚のものに来て泊って貰ったりした。幾晩かの睡眠不足で、皆な疲れた。
附添の女と私達とは、三人かわるがわる起きて、夜の廊下を通って、看護婦室の先の方まで氷塊《こおり》を砕《か》きに行っては帰って来て、お房の頭を冷した。そして、交代に眠った。疲労《つかれ》と心配とで、私も寝台の後の方に倒れたかと思うと、直《すぐ》に復た眼が覚めた。一晩中、お房は「母さん、母さん」と呼びつづけた。
まだ夜は明けなかった。私は手拭《てぬぐい》を探して、廊下へ顔を洗いに出た。いくらか清々した気分に成って、引返そうとすると、お房の声は室を泄《も》れて廊下の外まで響き渡っていた。
「母さん――母さん――母さん」
烈《はげ》しい叫声は私の頭脳《あたま》へ響けた。その焦々《いらいら》した声を聞くと、私は自分まで一緒にどうか成って了うような気がした。
お房の枕頭《まくらもと》には黒い布を掛けて、光を遮《さえぎ》るようにしてあった。お房は半分夢
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