は響のする方へ動いた。それに、子供等の遊友達を見ると、思出すことばかり多くて、この静かな土地を離れたく成った。彼は町の方へ家を移そうと考えた。そのゴチャゴチャした響の中で、心を紛《まぎらわ》したり、新規な仕事の準備《したく》に取掛ったりしようと考えた。
家を指して、雑木林《ぞうきばやし》の間を引返して行くと、門の内に家の図を引いている人がある。やはりこの郊外に住む風景画家だ。お雪は入口のところに居て、どの窓がどの方角にあるなどと話し聞かせていた。
風景画家は洋服の袖隠《かくし》から磁石《じしゃく》を取出した。引いた図の方角をよく照らし合せて見て、ある家相を研究する人のことを三吉に話した。あまり子が死んで不思議だ、家相ということも聞いてみ給え、これから家を移すにしても方角の詮議《せんぎ》もしてみるが可《い》い、こう言って、猶《なお》この家の図は自分の方から送って置く、と親切な口調で話して行った。
「ああいう画を描く人でも、方角なぞを気にするかナア」
と三吉は言ってみたが、しかし家の図までも引いて行ってくれる風景画家の志は難有《ありがた》く思った。
お雪は夫の方を見て、
「貴方のように関《かま》わなくても困る。人の言うことも聞くもんですよ。山を発《た》つ時にも、日取が悪いから、一日延ばせというものを無理に発ったりなんかして、だからあんな不幸が有るなんて、後で近所の人に言われたりする……それはそうと、何だか私はこの家に居るのが厭《いや》に成った」
こう言う妻の為にも、三吉は家を移そうと決心した。
信心深い植木屋の人達は又、早く三吉の去ることを望んだ。何か、彼が禍《わざわい》を背負って、折角《せっかく》新築した家へケチを付けにでも来たように思っていた。それを聞くにつけても、三吉は早く去りたかった。
外濠線《そとぼりせん》の電車は濠に向った方から九月の日をうけつつあった。客の中には立って窓の板戸を閉めた人もあった。その反対の側に腰掛けた三吉は、丁度家を探し歩いた帰りがけで、用達《ようたし》の都合でこの電車に乗合わせた。彼は森彦の旅舎《やどや》へも寄る積りであった。
昇降《のりおり》する客に混って、二人の紳士がある停留場から乗った。
「小泉君」
とその紳士の一人が声を掛けた。三吉は幾年振かで、思いがけなく大島先生に逢った。
割合に込んだ日で、大島先生は空《す》いたところへ行って腰掛けた。三吉と反対の側に乗ったが、連があるのと、客を隔てたのとで、互に言葉も替《かわ》さなかった。二人は黙って乗った。
大島先生は、一夏三吉が苦しんだ熱い思を、幾夏も経験したような人であった。細君に死別れてから、先生は悲しい噂《うわさ》ばかり世に伝えられるように成った。改革者のような熱烈な口調で、かつて先生が慷慨《こうがい》したり痛嘆したりした声は、皆な逆に先生の方へ戻って行った。正義、愛、美しい思想――そういう先生の考えたことや言ったことは、残らず葬られた。正義も夢、愛も夢、美しい思想も夢の如《ごと》くであった。唯《ただ》、先生には変節の名のみが残った。昔親切によく世話をして遣《や》った多くの後輩の前にも、先生は黙って首を垂れて、「鞭韃《むちう》て」と言わないばかりの眼付をする人に成った。旧《ふる》い友達は大抵先生を捨てた。先生も旧い友達を捨てた。
以前に比べると、大島先生はずっと肥った。服装《みなり》なども立派に成った。しかし以前の貧乏な時代よりは、今日の方が幸福《しあわせ》であるとは、先生の可傷《いたま》しい眼付が言わなかった。
この縁故の深い、旧時《むかし》恋しい人の前に、三吉は考え沈んで、頭脳《あたま》の痛くなるような電車の響を聞いていた。先生の書いたもので思出す深夜の犬の鳴声――こんな突然《だしぬけ》に起って来る記憶が、懐旧の情に混って、先生のことともつかず、自分のことともつかず、丁度電車の窓から見える人家の窓や柳の葉のように、三吉の胸に映ったり消えたりした。
そのうちに、三吉は大島先生の側へ行って腰掛けることが出来た。先生は重い体躯《からだ》を三吉の方へ向けて、手を執《と》らないばかりの可懐《なつか》しそうな姿勢を示したが、昔のようには語ろうとして語られなかった。
「オオ、鍛冶橋《かじばし》に来た」
と先生はあわただしく起立《たちあが》って、窓から外の方の市街を見た。
「もう御降りに成るんですか」と三吉も起上った。
「小泉君、ここで失敬します」
という言葉を残して置いて、大島先生は電車から降りた。
「吾儕《われわれ》に媒酌人《なこうど》をしてくれた先生だったけナア」
こう思って、三吉が見送った時は、酒の香にすべての悲哀《かなしみ》を忘れようとするような寂しい、孤独な人が連の紳士と一緒に柳の残っている橋の畔《たもと》を歩いていた。
電車は通り過ぎた。
「小泉さんはおいでですか」
三吉は森彦の旅舎《やどや》へ行って訪ねた。そこでは内儀《おかみ》さんが変って、女中をしていた婦人が丸髷《まるまげ》に結って顔を出した。
電話口に居た森彦は、弟の三吉と聞いて、二階へ案内させた。部屋にはお俊も来合せていた。森彦は電話の用を済まして、別の楼梯《はしごだん》から上って来た。
三吉はお俊と不思議な顔を合せた。殊《こと》に厳格な兄の前では、いかにも姪《めい》の女らしい黙って視ているような様子がツラかった。彼は、夏中手伝いに来ていて貰った時のような、親しい、楽々とした気分で、この娘と対《むか》い合うことが出来なかった。何となく堅くなった。
「森彦叔父さん、私は学校の帰りですから」とお俊が催促するように言った。
「そうかい。じゃ着物は宜しく頼みます。母親《おっか》さんにそう言って、可いように仕立てて貰っておくれ」
旅舎生活《やどやずまい》する森彦は着物の始末をお俊の家へ頼んだ。お俊は長い袴《はかま》の紐《ひも》を結び直して、二人の叔父に別れて行った。
漸《ようや》く三吉は平常《いつも》の調子に返って、一日家を探し歩いたことを兄に話した。直樹《なおき》が家の附近は、三吉も少年時代から青年時代へかけての記憶のあるところで、同じ町中を択《えら》ぶとすれば、なるべく親戚や知人にも近く住みたい。それには、旧時《もと》直樹の家に出入した人の世話で、一軒二階建の家を見つけて来た。こんな話をした。
「時に、延もお愛ちゃんの学校へ通わせることにしました」と三吉が言った。「その方があの娘《こ》の為めにも好さそうです」
森彦は自分の娘が兄の娘に負けるようでは口惜《くや》しいという眼付をした。
「まあ、学校の方のことは、お前に任せる……俺の積りでは、延に語学をウンと遣らせて、外交官の細君に向くような娘を造りたいと思っていた。行く行くは洋行でもさせたい位の意気込だった……」
「娘の性質にもありますサ」
「俺の娘なら、もうすこし勇気が有りそうなものだ。存外ヤカなもんだ」
と森彦は田舎訛《いなかなまり》を交えて、自分の子が自分の自由に成らないに、歎息した。
「実さんの家でも越すそうじゃ有りませんか」
「そうだそうな。どうも兄貴にも困りものだよ。一応俺に相談すればあんな真似《まね》はさせやしなかった。その為に俺の仕事まで、どれ程迷惑を蒙《こうむ》ったか知れない。ああいう兄貴の弟だ――直ぐそれを他《ひと》に言われる。実に、油断も間隙《すき》もあったもんじゃ無い。どうだ、そのうちに一度兄貴の家へ集まるまいか。どうしても東京に置いちゃ不可《いかん》……満洲の方にでも追って遣らにゃ不可……今度行ったら、俺がギュウという目に逢わせてくれる」
小泉の家の名誉と、実の一生とを思うのあまり、森彦は高い調子に成って行った。この兄は、充実した身体《からだ》の置場所に困るという風で、思わず言葉に力を入れた。その飛沫《とばしり》が正太にまで及んで行った。兜町《かぶとちょう》で儲《もう》けようなどとは、生意気な、という語気で話した。正太は幼少の頃、この兄の手許《てもと》へ預けられたことが有るので、どうかすると森彦の方ではまだ子供のように思っていた。
部屋の障子の開いたところから、青桐《あおぎり》の葉が見える。一寸《ちょっと》三吉は廊下へ出て、町々の屋根を眺めた。
「お前が探して来た家は、二階があると言ったネ。二階も好いが、子供にはアブナイぞ。橋本の仙(正太の妹)なぞは幼少《ちいさ》い時分に楼梯《はしごだん》から落ちて、それであんな風に成った――夫婦は二階で寝ていて知らなかったという話だ――」
「でも、お仙さんは、房ちゃんと同じ病気をしたと云うじゃ有りませんか」
「何でも俺はそういう話を聞いた」
三吉は森彦の前へ戻って、眼に見えない二階の方を見るように、しばらく兄の顔を見た。
間もなく三吉はこの二階を下りた。旅舎を出てから、「よく森彦さんは、ああして長く独《ひと》りで居られるナア」と思ってみた。電車で新宿まで乗って、それから樹木の間を歩いて行くと、諸方《ほうぼう》の屋根から夕餐《ゆうげ》の煙の登るのが見えた。三吉は家の話を持って、妻子の待っている方をさして急いだ。
家具という家具は動き始めた。寝る道具から物を食う道具まで互に重なり合って、門の前にある荷車の上に積まれた。
「種ちゃん、彼方《あっち》のお家の方へ行くんですよ」
とお雪は下婢《おんな》の背中に居る子供に頭巾《ずきん》を冠《かぶ》せて置いて、庭伝いに女教師の家や植木屋へ別れを告げに行った。こうして、思出の多い家を出て、お雪は夫より一足先に娘達の墳墓の地を離れた。
町中にある家へ、彼女が子供や下婢と一緒に着いた時は、お延が皆なを待受けていた。そこは、往時《もと》女髪結で直樹の家へ出入して、直樹の母親の髪を結ったという老婆《ばあさん》が見つけてくれた家であった。その老婆の娘で、直樹の父親の着物なぞを畳んだことのある人が、今では最早《もう》十五六に成る娘から「母親《おっか》さん」と言われる程の時代である。極《ご》く近く住むところから、その人達が土瓶《どびん》や湯沸《ゆわかし》を提《さ》げて見舞に来てくれた。お雪は手拭《てぬぐい》を冠ったり脱《と》ったりした。
静かな郊外に住慣れたお雪の耳には、種々な物売の声が賑《にぎや》かに聞えて来た。勇ましい鰯売《いわしうり》の呼声、豆腐屋の喇叭《らっぱ》、歯入屋の鼓、その他郊外で聞かれなかったようなものが、家の前を通る。表を往《い》ったり来たりする他の主婦《かみさん》で、彼女のように束髪にした女は、殆《ほと》んど無いと言っても可《い》い。この都会の流行に後《おく》れまいとする人々の髪の形が、先《ま》ず彼女を驚かした。
実の家からは、例の箪笥《たんす》や膳箱《ぜんばこ》などを送り届けて来た。いずれも東京へ出て来てからの実の生活の名残だ。大事に保存された古い器物ばかりだ。お雪はそれを受取って、自分の家の飾りとするのも気の毒に思った。
夫は荷物と一緒に着いた。
「こういうところで、田舎風の生活をして見るのも面白いじゃないか」
と三吉はお雪に言った。お雪はよく働いた。夕方までには、大抵に家の内が片付いた。荷車に積んで来たゴチャゴチャした家具は何処《どこ》へ納まるともなく納まった。改まった畳の上で、お雪は皆なと一緒に、楽しそうに夕飯の膳に就《つ》いた。
暮れてから、かわるがわる汗を流しに行った女達は、あまり風呂場が明る過ぎてキマリが悪い位だった、と言って帰って来た。下婢は眼を円くして飛んで来て、「この辺では、荒物屋の内儀《おかみ》さんまで三味線を引いています」とお雪に話した。長唄や常磐津《ときわず》が普通の家庭にまで入っていることは、田舎育ちの下婢にめずらしく思われたのである。
「延ちゃん、一寸そこまで見に行って来ましょう」
とお雪は姪を誘った。
郊外の夜に比べると、数えきれないほどの町々の灯がお雪の眼にあった。紅――青――黄――と一口に言って了《しま》うことの出来ない、強い弱い種々《さまざま》な火の色が、そこにも、ここにも、都会の夜を照らしていた
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