比べた。
「私は二十五に成ったら、叔父さんに自分の通過《とおりこ》して来たことを話しましょう。よく小説にいろいろなことが書いてあるけれど、自分の一生を考えると、あんなことは何でも無いわ。私の遭遇《であ》って来たことは、小説よりも、もっともっと種々《いろいろ》なことが有る」
「そんなら、今ここで承りましょう」と三吉は半分|串談《じょうだん》のように。
「いいえ」
「二十五に成って話すも、今話すも、同じことじゃないか」
「もっと心が動かないように成ったら、その時は話します……今はまだ、心が動いてて駄目よ」
しばらくお俊の話は途切れた。暗い、静かな往来の方では、農家の人達が団扇《うちわ》をバタバタ言わせる音がした。
「しかし、叔父さんが私を御覧なすッたら、さぞ馬鹿なことを言ってると御思いなさるでしょうねえ」
「どういたして」
「必《きっ》とそうよ」
「しかし」と三吉は姪の方を眺めながら、「お前がそんなオシャベリをする人だとは、今まで思わなかった――今夜、初めて知った」
「私はオシャベリよ――ねえ、延ちゃん」と言って、お俊はすこし羞《は》じらった顔を袖で掩《おお》うた。
両国《りょうごく》の花火のあるという前の日は、森彦からも葉書が来て、お俊やお延は川開《かわびらき》に行くことを楽みに暮した。
翌日の新聞は、隅田川《すみだがわ》の満潮と、川開の延期とを伝えた。水嵩《みずかさ》が増して危いという記事は、折角《せっかく》翹望《まちもう》けた娘達をガッカリさせた。そうでなくても、朝から冷《すず》しい夏の雨が降って、出掛けられそうな空模様には見えなかった。
「延は?」と三吉がお俊に聞いた。
「裏の叔母さんのとこでしょう」
女教師の通う小学校も休に成ってからは、「叔母さん、叔母さん」と言って、毎日のようにお延は遊びに行った。
庭の草木も濡れて復活《いきかえ》った。毎日々々の暑《あつさ》で、柔軟《かよわ》い鳳仙花《ほうせんか》なぞは竹の垣のもとに長い葉を垂れて、紅く咲いた花も死んだように成っていたが、これも雨が来て力を得た。三吉は縁側に出て、ションボリと立っていた。
「叔父さん――何故《なぜ》私が墓場が好きですか、それを御話しましょうか」
こうお俊が言出した。三吉は部屋へ戻って、心地《こころもち》の好い雨を眺めながら、姪の話を聞いた。
お俊の言おうとすることは、彼女の若い、悲しい生涯を思わせるようなものであった。十六の年に親しい友に死別れて、それから墓畔《ぼはん》のさまよいを楽むように成ったことや、ある時はこの世をあまり浅猿《あさま》しく思って、死ということまで考えたが、母と妹のある為に思い直したこと、自分は苦労というものに逢いにこの世へ生れて来たのであろう、というようなことなぞが、この娘の口からきれぎれに出て来た。
「私は、どんなことがあっても、自分の性質だけは曲げたくないと思いますわ……でも、ヒネクレて了《しま》やしないか、とそればかり心配しているんですけれど……」
と言って、ややしばらく沈思した後で、
「しかし、私が今まで遭遇《であ》って来たことの中で、唯《たった》一つだけ叔父さんに話しましょうか」
こんなことを言出した。
お俊は、附添《つけた》して、母より外《ほか》にこの事件を知るものがないと言った。その口振で、三吉には、親戚の間に隠れた男女《おとこおんな》の関係ということだけ読めた。誰がこの娘に言い寄ろうとしたか、そんな心当りは少しも無かった。
「大抵叔父さんには解りましたろうネ」
「解らない」三吉は首を振った。「何か又、お前が誤解したんだろう――雲を烟《けぶり》と間違えたんじゃないか」
お俊の眼からは涙が流れて来た。彼女は手で顔を掩《おお》うて、自分の生涯を思い出しては半ば啜泣《すすりな》くという風であった。一寸《ちょっと》縁側へ出て見て、復た叔父の方へ来た。
「叔父さんは……正太兄さんをどういう人だとお思いなすって……兄さんは叔父さんが信じていらッしゃるような人でしょうか」
三吉は姪の顔を熟視《みまも》った。「――お前の言うのは正太さんのことかい」
「私が二十五に成ったら、叔父さんに御話しましょうって言いましたろう。それよ。その一つよ。豊世姉さんがこんな話を御聞きなすったら、どんな顔を成さるでしょう……可厭《いや》だ、可厭だ……私は一生かかって憎んでも足りない……」
「ああ、なんだか変な気分に成って来た。何だって、そんな可厭な話をするんだ」
「だって、叔父さんが鑿《ほじ》って聞くんですもの」
三吉は「そうかナア」という眼付をして、黙って了った。
「ね、もっと他《ほか》の好い話をしましょう」
とお俊は微笑《ほほえ》んで見せて、窓のある部屋の方へ立って行った。そこから手紙を持って来た。
「多分叔父さんはこの手紙を書いた人を御存じでしょう」
姪が出して来て見せたものは、手紙と言っても、純白な紙の片《きれ》にペンで細く書いた僅かな奥床《おくゆか》しい文句であった。「君のように香《か》の高い人に遭遇《であ》ったことは無い、これから君のことを白い百合《ゆり》の花と言おう」唯それだけの意味が認《したた》めてある。サッパリしたものだ。別に名前も書いて無いが、直樹の手だ。
「今までも兄さんでしたから、だから真実《ほんと》の兄さんになって頂いたの――それでおしまい」とお俊は言葉を添えた。
この「それでおしまい」が三吉を笑わせた。
正太でも、直樹でも娘達は同じように「兄さん」と呼んでいた。一方は従兄弟《いとこ》。一方は三吉が恩人の子息《むすこ》というだけで、親戚同様にしていたが、血統《ちすじ》の関係は無かった。区別する為に正太兄さんとか、直樹兄さんとか言った。三吉も、その時に成って、いろいろ知らなかったことを知った。
三
実――お俊の父は、三吉とお雪とが夫婦に成ってから、始めて弟の家に来て見た。旧《ふる》い小泉を相続したこの一番|年長《うえ》の兄が、暗い悲酸な月日を送ったのも、久しいものだ。彼が境涯の変り果てたことは、同じ地方の親しい「旦那衆《だんなしゅう》」を見ても知れる。一緒に種々な事業を経営した直樹の父は、彼の留守中に亡くなった。意気相投じた達雄は、最早|拓落失路《たくらくしつろ》の人と成った。
とは言え、留守中彼の妻子が心配したほど、実は衰えて見えなかった。彼は兄弟中で一番背の高い人で、体格の強壮なことは父の忠寛に似ていた。小泉の家に伝って、遠い祖先の慾望を見せるような、特色のある大きな鼻の形は、彼の容貌《おもばせ》にもよく表れていた。顔の色なぞはまだ艶々《つやつや》としていた。
この兄が三吉の部屋へ通った。丁度、娘達は家に居なかった。三吉は長火鉢《ながひばち》の置いてあるところへ行って、自分で茶を入れた。それを兄の前へ持って来た。
一生の身の蹉跌《つまずき》から、実は弟達に逢《あ》うことを遠慮するような人である。未だ森彦には一度も逢わずにいる。三吉に逢うのは漸《ようや》く二度目である。
「俊は?」と実が自分の娘のことを聞いた。
「一寸《ちょっと》新宿まで――延と二人で買物に行きました」
「御留守居がウマク出来るかナ」
「ええ、好く遣《や》ってくれます。今日は二人に、浴衣《ゆかた》を一枚ズツ奢《おご》ってやることにしました」
「それは大悦《おおよろこ》びだろう。お前のとこでも、子が幾人《いくたり》も死んで、随分不幸つづきだったナ。しかし世の中のことは、何でも深く考えては不可《いけない》。淡泊に限る。乃公《おれ》はその主義サ――家内のことでも――子供のことでも――自分のことでも」
こんな調子で、あだかも繁華な街衢《ちまた》を歩く人が、右に往き、左に往きして、他《ひと》を避けようとするように、実はなるべく弟に触るまい触るまいとしていた。彼は弟の手を執《と》って過去の辛酸を語ろうともしなければ、留守中|何程《どれほど》の迷惑を掛けたろうと、深くその事を詫《わ》びるでもなかった。唯《ただ》、旧家の家長が目下の者に対するような風で、冷飯《ひやめし》の三吉と向い合っていた。
金の話は余計に兄の矜持《ほこり》を傷《きずつ》けた。病身な宗蔵――三吉などが「宗さん、宗さん」と言っている兄――この人は今だに他所《よそ》へ預けられていて、実が世話すべき家族の一人ではあるが、その方へも三吉には金を出させていた。種々《いろいろ》余分な工面もさせた上に、復《ま》た兄は金策を命じに来た。
「実《じつ》はNさんのところから、四十円ばかり借りた。いずれ三吉の方で返しますから、と言って、時に借りて来た。これは是非お前に造って貰わにゃ成らん」
当惑顔な弟が何か言おうとしたのを実は遮《さえぎ》った。彼は細《こまか》く書いた物を取出した。これだけの家具を四十円で引取ると思ってくれ、と言出した。それには、箪笥《たんす》、膳《ぜん》、敷物、巻煙草入、その他徳利、盃洗《はいせん》などとしてあった。
「頼む」
と兄は無理にも承諾させて、そこそこに弟の家を出た。
「留守中は御苦労だったとか、何とか……それでも一言ぐらい挨拶《あいさつ》が有りそうなものだナア」
こう三吉は、独語《ひとりごと》のように言って、嘆息した。尤《もっと》も、兄が言えないことは、三吉も承知していた。
お俊はお延と一緒に、風呂敷包を小脇《こわき》に擁《かか》えながら帰った。包の中には、ある呉服屋から求めて来た反物《たんもの》が有った。
「叔父さんに買って頂いたのを、お目に懸《か》けましょう」
と娘達は言い合って、流行の浴衣地《ゆかたじ》を叔父の前に置いた。目うつりのする中から、思い思いに見立てて来た涼しそうな中形《ちゅうがた》を、叔父に褒《ほ》めて貰う積りであった。
「何だって、こんな華美《はで》なものを買って来るんだね」
と叔父は気に入らなかった。
「豊世姉さんだって随分華美なものを着るわねえ」
こうお俊が従姉妹《いとこ》に言った。三吉はそれを聞いて、何故《なぜ》小泉の家が今日のように貧乏に成ったろうとか、何故娘達がそれを思わないだろうとか、何故旧い足袋《たび》を穿《は》いていても流行《はやり》を競うような量見に成るだろうとか、種々なヤカマしいことを言出した。
「でも、こういうもので無ければ、私に似合わないんですもの」
とお俊は萎《しお》れた。
やがて三吉は機嫌《きげん》を直して、お俊の父が金策の為に訪ねて来たことを話し聞かせた。その時お俊は自分の家の方の噂《うわさ》をした。丁度彼女が帰って行った日は、公売処分の当日であったこと、ある知人《しりびと》に頼んで必要な家具は買戻して貰ったこと――執達吏――高利貸――古道具屋――その他生活のみじめさを思わせるような言葉がこの娘の口から出た。
三吉は家の内をあちこちと歩いた。最後の波に洗われて行く小泉の家が彼の眼に浮んだ。破産又た破産。幾度も同じ事を繰返して、その度《たび》に実の集めた道具は言うに及ばず、母が丹精《たんせい》して田舎《いなか》で織った形見の衣類まで、次第に人手に渡って了《しま》った。実の家では、長い差押《さしおさえ》の仕末をつけた上で、もっと屋賃の廉《やす》いところへ引移る都合である。
話が両親のことに移ると、お俊は眼の縁を紅《あか》くした。彼女は涙なしに語れなかった。
「――母親《おっか》さんには、どうしても詫びることが出来ない。『母親さん、御免なさいよ』と口にはあっても……首は下げても……どうしても言葉には出て来ない」
こんなことまで叔父に打開けて、済まないとは思いつつ、耳を塞《ふさ》いで、試験の仕度《したく》したことなどをも語った。話せば話すほど、お俊は涙が流れて来た。そして、娘らしい、涙に濡《ぬ》れた眼で、数奇《すうき》な運命を訴えるように、叔父の顔を見た。
その晩、遅くなって、お俊は独《ひと》りで屋外《そと》へ出て行った。
「叔父さん、お俊姉さまは?」お延が聞いた。
「葉書でも出しに行ったんだろう」
と三吉が答えていると、お俊はブラリと戻っ
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