て来て言った。「なんですか、私も是方《こっち》へ来てから、また母親さんが一人|加《ふ》えたような気がしますわ」
階下《した》に住む婦人がナカナカのエラ者で、商売《あきない》の道にも明るく、養子の失敗を憂えていることなぞが、かわるがわる正太夫婦の口から出た。そのうちに、正太は、「お前はそっちへ行ってお出」と豊世に眼で言わせて、黙然《もくねん》と叔父の前に頭を垂れた。
「叔父さん、私もいよいよ洗礼を受けました」
こんなことを言出した。三吉は不思議そうに甥《おい》の顔を見た。
「実は――」と正太は沈痛な語気で、「熱田《あつた》へ遊びに参りましたら、その帰り道で洗礼を受けました――二度、喀血《かっけつ》しました」
「叔父さん」と正太は男らしい響のある調子に返った。「私もこれから大に遣ります。医者に診《み》て貰いましたところが、『お前の病気は自分で作った病気だ、精神の過労から出た病気だ、下手《へた》にクヨクヨするな、そのかわり三年や四年でマイって了うようなものじゃ無い、十年の生命《いのち》は引受けた』と言ってくれましたんです。『仕事を為ても構わんか』と聞いたら、『差支《さしつかえ》は無い』ッて言いますからネ。『よし』と、『それじゃ俺はこれからウンと遣って見せる、この病気に罹《かか》ってから事を成した者は――いくらもある』こういう覚悟を抱いたんです」
「どうだネ、どんな心地《こころもち》がするネ」と三吉は病人扱いにしたくなく尋ねた。
「何となく、こう厳粛な心地が起って来ました……」
「そいつは面白いナ。何だねえ、正太さん、今日までのことは忘れて行《や》るんだネ。是非とも親譲りの重荷をどうしなけりゃ成らんとか、なんとか、そんなことは先ず側《わき》に置くんだネ。自分は自分の為るだけのことを為る――それで可いじゃないか」
「私もその積りです。それにネ、叔父さん、銀行側の人ですら、『もう達雄さんも好い加減にして帰って来たら好かろう』――なんて言ってくれた人もあるんです」
「今度の旅は、君の家でも大分ヤカマシかった。僕は君、三晩とも碌に寝ずサ。姉さんに向って種々なことを言って、終《しまい》には、赤い着物の話まで出た。そこまで僕は姉さんには言わなかったが、何故達雄さんが家を出る時に、自分の為たことは自分で責任を負います……赤い着物でも何でも着ます……そのかわり妻子に迷惑を掛けてくれるな、と言わなかったろう。家を出る位の思をしても……その苦痛《くるしみ》が何の役にも立たない……」
「いえ、叔父さん、そう阿爺《おやじ》の方から出てくれれば、まさかに赤い着物を着せるとも、誰も言いはしなかったろうと思います。ところが阿爺はそうじゃなかった。『俺にそれを着せてくれるな』と言出した……その時、もうこれは駄目だ、と私も思いました」
こう二人は達雄のことを言って見たが、でも何となく頭が下った。目下のものが旧家の家長に対する尊敬の心は、是方《こちら》に道理があると思う場合でも、不思議に二人に附いて廻った。
豊世が膳《ぜん》を運んで来た。正太は力の無い咳《せき》をして、叔父と一緒に笑いながら食った。三吉は姉の生涯をあわれに思うという話なぞをした後で、
「僕は、今度は、姉さんにも言った……莫迦《ばか》に怒られちゃった……」
「なにしろ、母親さんは、神聖にして犯す可《べか》らず――吾家《うち》じゃそう成っていましたからネ。しかし、叔父さん、小泉忠寛翁の風貌《ふうぼう》を伝えたものは――貴方の姉弟中で、吾家の母親さんが一番ですよ」
正太はすべて可懐《なつか》しいという眼付をした。母も、幸作夫婦も、家を捨てて行った父も――
「森彦叔父さんを訪ねて見ようじゃ有りませんか。私の病気のことは未だ誰にも言わずに有ります。あの叔父さんにも知らせて有りません。母親さんは無論のこと。唯、貴方《あなた》に御話するだけです。豊世は……これはまあ看護をしてくれる人ですから……」
こんなことを言って、翌日正太は三吉を誘った。彼は胸に病のある人とも見えないほど爽快《さわやか》な声で話す時もあった。活気のある甥の様子に、三吉もやや安心して、一緒に森彦の宿を訪ねることにした。
「森彦叔父さんも奮闘していますぜ」
と正太は箱梯子を降りかけた時に言った。
午後に成って、正太は名古屋女の観察、音曲、家屋の構造なぞの話を叔父に聞かせながら帰って来た。暖簾《のれん》を潜《くぐ》ると、茶室のように静かな家の内には読経《どきょう》する若主人の声が聞える。それを聞きながら、二人は表二階の方へ上って行った。
豊世は行末のことまでも思うという風で、二人の傍へ来た。
「豊世さん、貴方はどうする人ですか」と三吉が尋ねた。「未だここに居る人ですか」
「私も困って了いますわ。こうして置いても行かれませんし、そうかと言って、東京の家を畳むのも惜しいなんて言いますし――」
「ああ、意気地の無いものは駄目です」と正太は妻の方を見て、アテコスるような調子で歎息した。「どういうものか、豊世は、イヤに突掛って来るようなことばかり言う……こう俺に……しかし、無理も無いサ。この年に成って、碌に妻も養えないような人間だからナア」
これを聞くと、豊世はもう何事《なんに》も言えなかった。
「まあ、森彦さんにも相談するサ」と云って、三吉は調子を変えて、「駒形の家に居る老婆《ばあ》さんネ、あの人も一生懸命で君の留守居をしてるよ。稀《たま》に僕が留守見舞に寄ると、これは旦那から預った植木だから、どうしてもこいつを枯らしちゃ成らんなんて……余程《よっぽど》主人思いだネ」
正太も笑った。「叔父さん、ホラ、私がこの夏、岐阜《ぎふ》の方へ行って、鵜飼《うかい》の絵葉書を差上げましたろう。あの時、下すった御返事は、大事に取っといてあります」
「どんな返事を進《あ》げたっけネ」
「ホラ、私も長良川《ながらがわ》に随いて六七里下りましたと申上げました時に……あの暑い盛りに……こう夏草の香のする……」
「そうそう、木曾路を行くがごとしなんて、君から書いて寄《よこ》したッけネ――是方《こっち》の暑さが思いやられたッけ」
正太は深い、深い溜息《ためいき》を吐《つ》いた。
暮方に、三吉は東京へ向けて、夜汽車で発つことにした。叔父を見送ろうとして、正太は一緒にこの宿を出た。電車で名古屋の停車場まで乗った。時間はまだすこし早かった。正太は燈火《あかり》の点《つ》き始めた停車場の前をあちこちと静かに歩いて、ふと思いついたように叔父に向って、
「貴方の許《とこ》の叔母さんにしろ、吾家《うち》のやつにしろ、今が一番身体の盛んな時でしょう――」
見ても圧迫を感ずるという調子に、彼は言った。
間もなく三吉は新橋行の列車の中に入った。窓の外には、見送の切符を握った正太が立って、何もかも惨酷《むご》いほど身に浸《しみ》るという様子をしていた。車掌は飛んで来て相図の笛を鳴らした。正太は前の方へ曲《こご》み気味に、叔父をよく見ようとするような眼付をした。三吉も窓のところに、濡《ぬ》れ雫《しずく》に成った鶏のようにションボリ立っていた。
「叔母さんにも宜《よろ》しく……」
と正太が言う頃は、汽車は動き出していた。
停車場の灯、薄暗い人の顔は窓の玻璃《ガラス》に映ったり消えたりした。宿の方へ戻って行く正太の姿を、三吉は想って見た。「郷里《くに》へでも帰って静養したらどうです」と森彦の旅舎《やどや》から帰りがけに甥に言った時、正太が首を振って、健気《けなげ》にも未だ戦おうという意気を示したことなぞが、三吉の胸にあった。正太の失敗も知らず、まして病気も知らず、彼一人に希望を繋《つな》いでいるような橋本の家の人達のことも浮んで来た。
「可哀想な男だ」
こう口の中で言って見て、長いこと三吉は窓のところに立っていた。
十
春が来た。正太の留守宅では、豊世と老婆《ばあさん》と二人ぎりで、四月あまりも名古屋の方の噂《うわさ》をして暮した。豊世は十一月末に東京へ引返したので、駒形《こまがた》の家の方で女ばかりの淋《さび》しい年越をした。河の方へ向いた玻璃《ガラス》障子の外へは幾度となく雪が来た。石垣の下に見える物揚場の伊豆石、家々の屋根、対岸の道路などは、その度《たび》に白く掩《おお》われた。弟という人と一緒に二階を借りて夫婦同様に暮している女の謡曲の師匠が他へ移るとか移らないとか、家主が無理に立退《たちのき》を迫るとか、煩《うるさ》いことの多い中に、最早家の周囲《まわり》には草の芽を見るように成った。
やがて豊世はこの惜しい世帯を畳まなければ成らない人であった。正太が放擲《うっちゃらか》して置いて行った諸方《ほうぼう》の遊び場所からは、あそこの茶屋の女中、ここの待合の内儀《おかみ》、と言って、しばしば豊世を苦めに来た。彼女はそういう借金の言訳ばかりにも、疲れた。そればかりではない、月々の生活を支《ささ》える名古屋からの送金は殆《ほと》んど絶えて了《しま》った……家賃も多く滞った……老婆に払うべき給料さえも借に成った……
家具を売払って、一旦《いったん》仕末を付けよう、こう考えながら豊世は家の内を歩いて見た。二度とこうした世帯が持てるであろうか、自ら問い自ら答えて、幾度《いくたび》か彼女は家の形を崩すことを躊躇《ちゅうちょ》した。
勝手の流許《ながしもと》には、老婆が蹲踞《しゃが》んで、ユックリユックリ働いていた。豊世は板の間に立って眺《なが》めた。ゴチャゴチャした勝手道具はこの奉公人に与えようと考えていた。
「真実《ほんと》にねえ、これまでに丹精するのは容易じゃなかった」と豊世は独語《ひとりごと》のように言った。
「奥様、何卒《どうか》まあ、一日も早く旦那様の方へ御一緒に御成遊ばすように……」と老婆は腰を延ばして、「私も、何か頂きたくて、これまで御世話を致したのじゃ御座いません。奥様がこうして御一人でいらっしゃるのが、私は心配で堪《たま》りません……御留守居は最早沢山で御座いますよ……」
この奉公人は、リョウマチ気《け》のある手を揉《も》み揉み言っていた。
豊世は水に近い空の見える方へ行った。川蒸汽や荷舟は相変らず隅田川《すみだがわ》を往復しつつあった。玻璃障子の直ぐ外にある植込には、萩《はぎ》や薔薇《ばら》などを石垣の外までも這《は》わせて、正太がよく眼を悦《よろこ》ばした場所である。豊世は、その玻璃障子も他の造作と一緒に売ろうと考えた。
長く手入もせずに置いた草木は、そこに柔かな芽を吹いていた。それを見ると、幾年か前の春が彼女の胸に浮んだ。橋本の姑《しゅうとめ》が寝物語に、男の機嫌《きげん》の取りようなぞを聞かされて、それにまた初心らしく耳傾けたことは、夢のように成った。相場師の妻らしく粧おうとして、自然と彼女は風俗《みなり》をもつくった。女に出来ることで、放縦な夫の心を悦ばすようなことは、何でもした。それほど夫の心まかせに成ったのも、何卒《どうか》して夫の愛を一身に集めたいと思ったからで……夫の胸に巣くう可恐《おそろ》しい病毒、それが果して夫の言うように、精神の過労から発したのか、それとも夫が遊蕩《ゆうとう》の報酬《むくい》か、殆んど彼女には差別のつかないものに思われた。
二月の末頃、正太は一度名古屋から上京したこともあった。その時は顔色も悪く、唯|瘠我慢《やせがまん》で押通しているような人であった。「旦那様は御自分じゃ、十年も生きるようなことを仰って被入《いら》っしゃいますが……どうして私の御見受申したところでは、二三年もむずかしゅう御座いますよ」と老婆は蔭で豊世に言った。二三日|逗留《とうりゅう》した正太の身体からは、毎晩のように、激しい、冷い寝汗が流れた。まるで生命の油が尽きて行くかのように。それを豊世は海綿で拭《ふ》き取ってやったことも有った。
その時の夫の言葉を、彼女は思出した。
「看護婦さん、足でも撫《さす》っておくれ……」
と夫は言ったが、それを玻璃障子のところで繰返してみた。彼女はまだ女の盛りである
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