った。
「彼女《あれ》が有るんで、俺も今まで持続《もちこた》えて来たようなものだわい」とお種も寝ながら煙草盆を引寄せた。
新座敷の方に休んだ豊世やお仙は寝沈まっていた。三吉は橋本の家の話に移って、幸作の骨折も思わねば成らぬ、正太には生命《いのち》がくれてある、何物《なんに》も幸作にはそんなものがくれて無い、そう神経質な眼で養子や嫁を見るべきものでもあるまい、欠点を言えば正太の方にも有るではないか、などと姉を沈着《おちつ》かせたいばかりに種々並べ始めた。一体、何の為に達雄が家出をしたと思う、そんなことを言出した。
「三吉、貴様は……何か俺の遣方が悪くて、それで、家がこう成ったと言うのか……何か……」
お種は尖《とが》った神経に触られたような様子して、むっくと身を起した。電燈の光を浴びながら激しく震えた。これ程女の節《みさお》を立て通した自分に、何処《どこ》に非難がある、と彼女の鋭い眼付が言った。どうかすると、弟まで彼女の敵に見えるかのように。
「姉さん、姉さん、そう貴方のように――他《ひと》の言うことをよく聞きもしないうちから――何故《なぜ》そんなに思い詰めて了うんです。もっと静かな心で考えられませんか」
こんな風に、三吉の方でも半ば身を起して、言って見た。お種は直に話を別の方へ持って行った。興奮のあまり、彼女はよく語れなかった。
「でも、何でしょう。達雄さんだっても、まかり間違えば赤い着物を着なくちゃ成らなかったんでしょう」
「それサ……むむ、それサ……赤い着物を着せたくないばっかりに……」
「でしょう。その為に皆な苦心して、漸《ようや》く今日まで漕付《こぎつ》けた。正太さんのことなぞを考えて御覧なさい。ウッカリしていられるような時じゃありませんぜ」
「むむ、解った、解った。若いものを相手にするようなことじゃ、是方《こっち》が小さいで……」
「小さいも、大きいも無いサ」
「いや、解った」
話が次第に紛糾《こんがらか》った。終《しまい》には、一体何を話しているのか、両方で解らないように成った。
「畢竟《つまり》――姉さんはどうすれば可いと言うんですか」
「俺は正太の傍へでも行って、どんな苦労をしても可いから、親子一緒に暮したいよ」
こう話の結末をつけてみたが、何だか二人ともボンヤリした。
払暁《あけがた》まで、お種は碌《ろく》に眠られなかった。
夜が白々する頃には、豊世も床を離れて、何かゴトゴト言わせていた。お種は雪洞《ぼんぼり》を持って新座敷の方へ行った。
「豊世、お前も行って了うかい」
「母親さん達は昨夜遅くまで話していらっしゃいましたネ」
「碌に寝すか」
「何だかぼそぼそぼそぼそ声がしてましたが、そのうちに私は寝て了いました」
「豊世――俺はツマランよ」
お仙は未だ眼を覚さなかった。思わずお種は娘の枕許《まくらもと》で泣いた。
三吉と一緒に朝茶を飲む頃のお種は、前の晩とは別の人のようであった。
「折角来てくれたのに」とお種はサッパリした調子で、「今度はイヤな話ばかり聞かせましたネ」
「三晩とも話し続けだ」
「いや、どうしてオオヤカマシ」
姉弟は顔を見合せて笑った。
豊世も仕度が出来た。やがて出発の時が来た。炉辺には、お種をはじめ、お仙、幸作夫婦、薬方の衆まで集って、一緒に別離《わかれ》の茶を飲んだ。
三吉達を見送ろうとして、お島とお仙の二人は町はずれまで随いて来た。
こういう道中をあまりしたことの無い豊世は、三吉と一緒に余儀なく歩かせられた。旧《ふる》い木曾路は破壊される最中であった。時々、岩石の爆裂する音が起った。大きな石の塊が可恐《おそろ》しい響をさせて、高い崖《がけ》の上から紅葉した谷底の方へゴロゴロ転《ころ》がり落ちて行った。
「女が、独りでなんぞ、とても通られる時じゃ有りませんネ」
と豊世は叔父に随いて歩きながら言った。
都会風な豊世の風俗は、途中に仕事をしている労働者の眼を引き易《やす》かった。どうかすると、十人も二十人も「ツルハシ」を手にした工夫の群が集って、石や土を運ぶことを休《や》めて、道を塞《ふさ》いでいた。
大きな森林は三吉の眼前《めのまえ》に展《ひら》けて来た。路傍《みちばた》には自然と足を留めさせるような休茶屋がある。樹木の間から、木曾川の流れて行くのが見える。そういうところへ寄って、三吉が豊世を休ませようとすると、かみさんが茶を運んで来て、「奥さんは、今日は何処《どちら》から?」などと聞く。豊世はハニカンでもいなかった。自分のことは言わずに、三吉の方を指して、
「あれは、私の叔父さんですよ」
こう笑いながら答える。この笑いが反《かえ》って休茶屋のかみさんを戯れるように思わせた。復た二人は笑って出掛けた。
停車場の新設された駅へ着いたは、日暮に近かった。豊世は汽車の時間を問合せた。叔父と一緒に一晩そこで泊らせて貰って、一番で名古屋へ発ちたいと言った。こう頼む人を翌朝《よくあさ》停車場へ送り届けた時は、三吉も漸く気楽な一人に成ることが出来た。
深い秋雨に濡《ぬ》れながら、三吉は森彦が家のある村へ入った。そこまで行けば、木曾川を離れて、山林の多い傾斜を上るように成る。三吉が生れ故郷の隣村である。森彦の養家は小泉兄弟の母親の里で、姓は同じ小泉であった。養父は疾《とう》に亡くなっていた。留守居する養母、妻、子供は、三吉の周囲《まわり》に集った。その日は、名古屋の方に居る森彦、東京に修業中のお延、お絹の噂で持切った。
旧《むかし》の街道は木曾風の屋造《やづくり》の前にあった。従順な森彦の妻は夫を待侘顔《まちわびがお》に見えた。
大きな木曾谷は次第に尽きて来た。兄の村を離れて、更に三吉は山林の間の坂道を上った。二里ばかり歩いた。峠の一部落から一緒になった男と連立って進んで行くと、子供の時に見馴《みな》れた山々が谷の向にあらわれて来た。
「三吉様。その外套《がいとう》も私が持たず」
と連の男が往時《むかし》と同じ調子で言って、辞退する三吉の外套を無理やりに引取った。この男は、「カルサン」を穿《は》いて、三吉の荷物まで自分の肩に掛けていた。
「構って下さらない方が、私は難有《ありがた》いんです。今度は唯墓参りに来たんです」
こう話し話し行く三吉は、高い山の上の日のあたった道を歩いていた。旧い馴染《なじみ》の人達に見つからないうちに、彼は独りで、自分の生れた家の跡を見て廻ろうとした。途中で、寺の方へ向う連の男に別れた。
洋服に草鞋穿《わらじばき》で、寂しい旅人のように、三吉は村へ入った。ずっと以前大火があって駅路の面影《おもかげ》もあまり残っていなかった。そこは美濃路《みのじ》の方へ下りようとする山の頂にあった。傾斜に成った道の両側には、新規に建った家だの、焼残った家だのが、樹木の間に出たり引込んだりして並んでいた。畠に成っているところもあった。
石垣の上には十一二ばかりに成る女の児が遊んでいた。猿羽織というものを着て、何処の人が通るかと三吉の方を見ていた。三吉は勝手が違ったように、心覚えの場所を探した。
「ここらに小泉という家があった筈《はず》ですが――知りませんか」
とその女の児に一寸《ちょっと》尋ねた。小娘は妙な顔をして、
「そこだに」
と直ぐ眼前《めのまえ》にある桑畠を指して見せた。
連の男は迎えに来た。村を横に切れて、田畠の間の細い道を小山の方へ登ると、小泉の先祖が建立《こんりゅう》したという古い寺がある。復た三吉は独りで山腹の墓地へ廻って見た。寺の名と同じ戒名《かいみょう》を刻んだ先祖の墓の前を通り過ぎて、墓地の出はずれまで行った。その眺望の好い、静かな一区域は、父母の眠っている場所だ。幸作に頼んで作った新しい墓石は墳《つか》の前に建ててあった。
幼い記憶が浮んで来た。以前から見ると明るく成った樹木の間から、三吉は村の家々を望んだ。「旦那衆」の住居は多くは焼けて小さく成った。昔は頭の挙らなかった百姓の部落の方に沢山新らしい家が建込んでいた。
旧い馴染《なじみ》の人達は、何時《いつ》までも三吉を独りにしては置かなかった。その翌日は、彼は寺の広間で、墓参の為に集って来た遠い近い親戚とか、出入の百姓とか、その他小泉の昔を忘れずにいる男や女の多勢ゴチャゴチャ集った中に居た。
三日目に三吉は以前の隣家へ移った。大きな酒屋を営んでいた家で、小泉の屋敷跡も今ではその所有に成っている。二階の客間は、丁度以前の小泉の奥座敷と同じ向にあって、遠い美濃《みの》の平野を一段高く望まれるような位置にある。そこへ主人は三吉を誘った。桑畠は直ぐ石垣の下にあった。忠寛の書院、母やお倉のよく縫物をした仲の間、実の居た「くつろぎ」の間、上段、離れ、会所などと名のつけてあった広い部屋々々の跡は、眼下《めのした》に見ることが出来る。温厚な長者らしい主人は、自分も往時《むかし》を思出したという風で、三吉と一緒に縁側に立って、あそこに井戸があった、ここに倉があった、と指して見せた。忠寛の座敷牢のあったという木小屋の辺《あたり》は未だ残っていた。三吉が祖母の隠居していた二階建の離れには、今は主人の老母が住むとのことであった。
「や、小泉さんに進《あ》げるものが有る」
と主人は、手を鳴らして酒を呼んだ後で、桑畠の中から掘出されたという忠寛の石印を三つばかり三吉の前に置いた。
古い鏡も掘出されたことを、主人は語った。忠寛の書院の前にあった牡丹《ぼたん》は、焼跡から芽を吹いて、今でも大きな白い花が咲く。こんな話もした。
この明るい二階へも、村の人や三吉の学校友達が押掛けて来た。以前は、「オイ、三公」なぞと忸々《なれなれ》しく呼んだ旦那衆が、改まってやって来て、「小泉君」とか「三吉君」とか言葉を掛けた。主人を始め、集って来る人達は大抵忠寛の以前の弟子であった。
「でも、忠寛先生の時分には――いくら無いと言っても――六七十俵の米は蔵に積んであった。皆な兄さんが亡くしたようなものだわい」
こう笑い話のようにして、高い酔った声で旧《むかし》を語るものもあった。
人を避けて、復た三吉は縁側の障子の外へ出てみた。家は破れても、山々の眺望は変らずにある。傾斜の下の方には、石を載せた板屋根、樹木の梢《こずえ》などが見える。秋は深い。最早霜が来たらしい桑畠の中には、色づいた柿の葉が今にも落ちそうに残っている。
何となく時雨《しぐ》れて来た。
荒廃した街道について、三吉は故郷の村から美濃の方へ下りた。二里ばかり送って随いて来るものも有った。ある町へ出た。そこで名古屋行の汽車に間に合った。
正太が泊っているのはやはり株式に関係した人の自宅であった。三吉は名古屋へ入って、清潔な「閑所」の多い、格子窓の続いたある町の中に、その宿を見つけた。
「誰方《どなた》?」
茶色な暖簾《のれん》を分けて、五十近い年|恰好《かっこう》の婦人が顔を出した。
「小泉です。橋本の叔父です」
叔父と聞いて、婦人は三吉を静かな奥深い客間へ案内した。正太も豊世も出て居なかった。その時、三吉は、この婦人の口から、正太が既に名古屋の相場で失敗したことを聞いた。この婦人の若い養子も、正太と手を組んで、大きな穴を開けたと聞いた。
午後の四時頃に正太夫婦は散歩から戻って来た。表二階が正太の借りている部屋であった。
「豊世、何かお前は叔父さんに見て来て進《あ》げたら可かろう」
と正太は買物を命じて置いて、表から裏口へ通り抜けられる土間の板を渡った。三吉もその後から、この家の母親が坐っている部屋を横に見て、高い壁に添うて、箱梯子《はこばしご》を上った。
二階は薄暗かった。三吉は正太と窓に近く坐って、互に顔を見合せた。正太が相場の失敗を語り出す前に、その意味は叔父の方へ通じていた。
「や、種々《いろいろ》な話が有る」
と三吉は正太の並べる言葉を遮《さえぎ》った。何となく正太は悄然《しょんぼり》としていた。それを見て、叔父は自分の旅を語り始めた。
「どうも叔父さん、種々御世話様で御座いました」と豊世が上っ
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