ことを考えて、そこに立っていられないほど悲しく成った。


「老婆《ばあ》や、一寸《ちょっと》御留守居を頼みますよ。三吉叔父さんの御宅まで行って来ますから」
 と豊世が声を掛けたので、老婆《ばあさん》は勝手の方から送りに出た。
「まあ、奥様の御服装《おみなり》は……意気なことは意気で御座いますが……おめかけさんか何ぞのようじゃ御座いませんか」
 こう上《あが》り端《はな》のところに膝《ひざ》を突いている老婆の眼が言った。意気な細君らしく成った豊世の風俗は、昔気質《むかしかたぎ》の老婆には気に入らなかった。この年をとった奉公人は、何処《どこ》までも旦那から留守を預ったという顔付でいた。
 豊世は石段を下りた。
 途次《みちみち》彼女は種々なことを考えて行った。どうかすると彼女は、自分の結婚の生涯を無意味に考えた。絶対の服従を女の生命とするお種のような、そういう考えは豊世には無かった。名古屋へ行こうか、それともこの際……いっそ自分の生家《さと》の方へ帰って了《しま》おうか、と彼女は叔父の家の門へ行くまでも思い迷った。
 三吉はお雪と一緒に自分の家の方で、折柄《おりから》訪ねて来たお愛を送り出したところであった。このお雪が二番目の妹は、若々しい細君として、旦那という人と共に一寸上京したのである。下座敷の障子も明けひろげてあるところへ、丁度豊世が入って来た。
「豊世さんはお愛ちゃんを御存じでしたろう。好い細君に成って来ましたよ」
 こう言いながら、三吉は長火鉢の前に豊世を迎えた。お雪もその側に居て、お愛夫婦の噂をした。
 叔父叔母の顔を眺め、若い人達の噂を聞くにつけても、豊世は気が変って、途次《みちみち》考えて来たようなことは言出さなかった。いよいよ駒形の家を仕舞うに就《つ》いては、何か家具の中に望みの品はないか、どうせ古道具屋に見せて売払うのだから、とお雪に話した。「真実《ほんと》に惜しいと思いますわ……でも、どうすることも出来ません」とも言った。
「なんでしょうか、橋本の姉さんは正太さんの病気を知ったでしょうか――実際の病気を」と三吉が尋ねた。
「さあ……」と豊世も考深く、「手紙には何とも書いてありません……最早知ったでしょうよ……幸作さんが名古屋へ出て、宅に逢《あ》っていますから。森彦叔父さんだって、漸《ようや》くこの頃御知んなすった位ですわ」
「あの兄貴へは、私の方から話しました」
 豊世は切ないという眼付をして、「橋本の母親さんからは、早く名古屋の方へ行って、看病してやっておくれ、と言って来ますし……生家《さと》の母からは、また……是非|是方《こっち》へ帰って来いなんて……真実《ほんと》に、親達は、先《ま》ず自分の子の方のことを考えてますよ。でも、生家の母も、私が可哀想だと思うんでしょう……」
「正太さんも可哀想ですし、貴方も可哀想です」
 と叔父に言われて、豊世は自分で自分を憐《あわれ》むように、
「私も、行って看病してやりますわ……今までだって、叔父さん、私の方で居てやったようなものですもの……」


「豊世さん――貴方がたは結婚なすってから、今年で何年に成りますネ」と三吉は巻煙草の灰を落しながら言出した。
「丁度十一年――」と豊世も過去ったことを思出したように。
「して見ると僕等よりは一年後でしたかねえ」
「たしか、橋本の番頭さんが薬を負《しょ》って吾家《うち》へ被入《いらし》って、あの時豊世さんのお嫁さんに被入《いら》しったことを伺いましたっけ」とお雪も言葉を添える。
「そうでしたねえ、あの時叔母さんからも御手紙なぞを頂きましたっけねえ」と豊世が言った。「真実《ほんと》に楽しいと思ったのは、結婚して一年ばかりの間でしたよ……それからもう家の内がゴタゴタゴタゴタし出して……母親さんは臥《ね》たり起きたりするように御成んなさる……そのうちにあの騒ぎでしょう」
 お雪も微《かす》かな溜息《ためいき》を吐いた。
「何しろ、正太さんと私とは縁故の深い訳ですネ――」と三吉は話を引取った。「私達二人は小学校時代から一緒でしたからネ。尤《もっと》も級は違いましたが。私が八つばかりの時に東京へ修業に出される……あの頃は土耳古形《トルコがた》のような帽子が流行《はや》って、正太さんも房の垂下ったのを冠ったものでサ……あんな時分から一緒なんですからね」
「旧《ふる》い、旧い御馴染」と豊世は受けて、「叔父さんが仙台に被入《いら》しった時分、宅のことで書いて寄して下すった手紙が、昨年でしたか出て参りましたっけ。あれなぞを見ましても、余程《よっぽど》宅は皆さんに心配して頂いた人なんですネ」
「へえ、そんな手紙を進《あ》げましたかナア」
「なんでも宅の方針のことで、叔父さんの意見を聞きに上げたんでしょう……あんなに皆さんから心配された位ですから、もうすこし宅も何か為《し》そうなものでしたが……」
 こういう話から引出されて、豊世は橋本の舅《しゅうと》が家出の当時のことや、生家から電報が来て、帰って行ってみると、それぎり引留められて了うところであったことや、実に恋人の方へ行く女の心で彼女は正太の方へ逃げて来たものであることなぞを言出した。
 豊世はまだ聞いて貰いたいという風で、ある時自分の一生を卜《うらな》って貰ったことがあった。「貴女は優しい人ですが、何処《どこ》か一箇処《ひととこ》、男性《おとこ》のようなところが有る――そこを気を着けなければ不可《いけない》」とその卜者《えきしゃ》が言ったとか。そんなことまで言出した。
「叔父さんの言葉で言えば、まあ親が出て来るんでしょうよ」
 こう言って、豊世は寂しそうに笑った。
 遊び盛りのお雪の子供等は表の入口を出たり入ったりしつつあった。三番目の男の児も、最早どうにかこうにか歩ける頃で、母親の方へ来たり、女中の方へ往《い》ったりしていた。
「オヤ、可笑《おか》しい、母さんのお乳を捜したりなぞして」
 と豊世に言われて、子供は母親の懐《ふところ》に入れた手を引込ました。
「ナイナイしましょう」とお雪は懐を掻合《かきあわ》せながら子供に言った。
「そう言えば、叔母さんは復《ま》たお出来なさいましたんでしょう……どうも此頃《こないだ》から、そうじゃないかッて、老婆《ばあや》とも御噂をしていましたよ」
 豊世はお雪の方を見た。お雪はすこし顔を紅めて、微笑《ほほえ》んだ。
「お雪」と三吉は妻に、「何か豊世さんの許《とこ》の道具で、お前の方に頂きたいものが有るかい」
 お雪は気の毒そうに、「そうですねえ……じゃ、豊世さんの裁物板《たちものいた》と、それから張板でも譲って頂きましょうか」
「あの張板なぞは、宅でまだ川向に居ました時分、わざわざ檜木《ひのき》で造らせたんですよ。長く住む積りでしたからねえ。とにかく、道具屋に一度見せまして、直段《ねだん》を付けさした上で、また申上げましょう」
 豊世は心細そうに震えた。とかく話は途切れ勝であった。


 豊世が帰って行く頃、三吉は独《ひと》り二階の部屋へ上って、北側の窓のところに立った。屋根、物干などの重なり合っている間には、春らしく濁った都会の空気や煙を通して、ゴチャゴチャ煙筒《えんとつ》の立つ向うの町つづきに、駒形の方の空を望むことも出来た。そこで三吉は正太のことを思った。
 お雪も楼梯《はしごだん》を上って来て、豊世が置いて行ったという話を夫にした。正太が一つ場所《ところ》に一週間居ると、必《きっ》ともうそこには何か持上っている――正太はお俊にまで掛った――こんなことまで豊世はお雪に話して行ったとかで。
「『真実《ほんと》に、叔母さんは可羨《うらやま》しい』なんて、豊世さんはそんなことを言って帰りましたっけ」
「でも、お前は不平だって言うじゃないか」と三吉は聞き咎《とが》める。
「何にも不平なことは有りません」
 こうお雪が力を入れて答えたので、しばらく三吉は妻の顔を眺めていた。
「吾儕《われわれ》が豊世さんから羨《うらや》まれるようなことは何にも無いサ――唯、身体が壮健《じょうぶ》だというだけのことサ」
 そう言って置いて、三吉は自分の仕事の方へ行った。
 その晩、三吉夫婦は遅くまで正太や豊世の噂をした。子供等が寝沈まった頃、お雪は何か思出したという風で、平素《いつも》にない調子で、
「父さん、私を信じて下さい……ネ……私を信じて下さるでしょう……」
 と夫の腕に顔を埋めて、終《しまい》には忍び泣に泣出した。「何を言出すんだ――今更信じるも信じないもないじゃないか」と三吉は言おうとしたが、それを口には出さなかった。彼は黙って、嬉しく悲しく妻の啜泣《すすりなき》を受けた。


 いよいよ豊世が名古屋へ発《た》つという前日、駒形の家の方からは、夏火鉢、額、その他勝手道具の類なぞを三吉の許へ運んで来た。その中には正太の意匠で、お俊の絵筆をかりて、小さな二枚戸に落葉を模様のように画かせた置床もあった。
 豊世も別れに来た。彼女は自分の使い慣れた道具が、叔父の家の方へ来ているのを眺めて、楽しい河畔の生活もいよいよ終を告げるかと思った。
「今も、一軒お別れに寄って参りましたら、その家の人が、橋本さんは何時《いつ》でもお別れにばかり寄るじゃありませんか、なんて……」
 こう豊世は叔父叔母に話して、落着いていたことも少い自分の生涯を聞いて貰いたいという風であった。
「豊世さん、こういう説がありますぜ」とその時、三吉は直樹の老祖母《おばあさん》の話だと言って、正太の生命《いのち》が三年持つものなら、豊世が傍に居ては一年しか持つまい、とあの七十の余までも生き延びた老祖母が言ったことをそこへ持出した。豊世は首を振って、夫の衰え方は世間の人の思うようなものでは無い、と萎《しお》れながら打消した。
 お雪も別れを惜んで、一晩豊世に泊るように、自分の家から名古屋へ発つように、と勧めた。「どうです。そうなすったら」と彼女が言った。豊世は、方角の好い旅舎《やどや》を択《えら》んで、老婆《ばあさん》と二人宿賃を出し合って、名残《なごり》に一夜泊ることを約束して置いて来たから、折角ではあるが、成るならその旅舎から送られて発ちたいと言った。多くの家具を腹の立つほど廉《やす》く売払っても、老婆の給料まで悉皆《すっかり》払って行くことは覚束《おぼつか》ない、いずれ名古屋から送る積りだ、とも言った。
「御勝手の道具で、売って幾何《いくら》にも成らないようなものは、皆なあの老婆《ばあ》やに遣《や》りましたよ」と豊世は附添えた。
 お雪は別れの茶を汲《く》んで来た。豊世は直樹の家へも暇乞《いとまごい》に寄ったことを話した。種々な人の噂が出た。三吉は、正太がまだ若くて懇意にした人の中に、お春という娘のあったことなぞをめずらしく言出した。
「叔父さんはよくあんな人のことまで覚えていらっしゃいましたね。私がまだお嫁に来ない前のことでしょう。あの人も嫁いて、最早子供が幾人《いくたり》もあります」と豊世が言った。
「それはそうと」と三吉は笑いながら、「豊世さんを一つ嫌《いや》がらせることが有る。ホラ、名古屋で正太さんが泊ってる家の主婦《おかみ》さん……シッカリ者だなんて、よく貴方がたの褒《ほ》めた……あの人が丹前なぞを造って、正太さんに着せてるといいますぜ――森彦さんが出て来た時、その話でした」
「あんな年寄なら、私は焼きません」
 と豊世も串談《じょうだん》のように言って笑ったが、やがて立ちがけに、
「叔父さん、今の御話を……行って宅に仕ても可う御座んすか」
 と聞いた。お雪も笑わずにはいられなかった。豊世は、いずれ名古屋へ着いたら、日あたりの好い貸間でも見つけて移る積りだと話して、いそいそと別れを告げて行った。


 五月の末に、三吉は正太が名古屋の病院に入ったという報知《しらせ》を受取った。間もなく、彼は病院からの電報を手にした。
「ゼヒアイタイ、スグキテクレ」
 としてあった。
 それほど正太の病が急に重く成ったとは、三吉には思えなかった。手放しかねる仕事もあり、様子も分りかねたので、名古屋に居
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