つい頂きたく成る」
 お雪も夫の巻煙草を分けて貰って、左の人差指と中指との間に挾んで吸った。
「あれで宅はどういうものでしょう」と豊世は叔父に、「名古屋へ参ります前なぞは、毎日寝てばかりおりましたよ。叔父さんが寝てるが可いッて仰《おっしゃ》ったから、俺は寝てるなんて、そんなことを申しまして……」
「正太さんも一時は弱ってましたネ」と三吉は心配らしく、「僕の家なぞへ来てもヒドく元気の無いことがあった」
「宅がよく申しましたよ、是方《こちら》へ上って御話をしてると、自分の塞《ふさ》がった心が開けて来るなんて、そう言っちゃあ吾家《うち》を出掛けました……どうかすると、宅が私に、『三吉叔父さんは僕の恋人だ』なんて……」
 三吉は噴飯《ふきだ》して了った。お雪は巻煙草の灰を落しながら、二人の話を聞いていた。
「もうすこし宅も仕事を為《し》そうなものですが」と豊世は考えるように。
「畢竟《つまり》、楽むように生れて来た人なんですネ。橋本のような旧い家に、ああいう人が出来たんですネ」
「……」
「吾儕《われわれ》の親類の中で、絵とか、音楽とか、芝居とかに、あの人ぐらい興味を持つ人は有りません。そのかわりああいう人に仕事をさせると――どうかすると、非常に器用な素人《しろうと》ではあっても、無器用な専門家には成れないことが有ります」
「そういうものでしょうかねえ……」
「一体、正太さんは人懐《ひとなつ》こい――だからあんなに女から騒がれるんでしょう」
 豊世は苦いような、嬉しいような笑い方をした。
 入口の庭の隅には、僅かばかりの木が植えてある。中でも、八手《やつで》だけは勢が好い。明るい新緑は雨に濡れて透き徹《とお》るように光る。青々とした葉が障子の玻璃《ガラス》に映って、何となく部屋の内を静かにして見せた。その静かさは、あだかも蛇が住む穴の内のような静かさであった。
 お雪は起って行って、お俊夫婦の写真を取出して来た。新郎《はなむこ》は羽織袴《はおりはかま》、新婦《はなよめ》も裙《すそ》の長い着物で、並んで撮《と》れていた。
「お俊ちゃんの旦那さんは大層好い方だそうですネ」とお雪は豊世と一緒に写真を見ながら、「お俊ちゃんは真実《ほんと》に可羨《うらやま》しい」
「私も可羨しいと思いますわ」と豊世が言った。
「何故、そんなに可羨しいネ」と三吉は二人の顔を見比べた。
「でも仲の好いのが何よりですわ。笑って暮すのが――」とお雪は豊世の方を見て。
「今にお俊ちゃん達も笑ってばかりいられなく成るよ」
 こう言って三吉が笑ったので、二人の女も一緒に成って笑った。
 三吉は家の内部《なか》を見廻した。彼とお雪の間に起った激しい感動や忿怒《ふんぬ》は通過ぎた。愛欲はそれほど彼の精神《こころ》を動揺させなく成った。彼はお雪の身体ばかりでなく、自分で自分の身体をも眺めて、それを彫刻のように楽むことが出来るように成った――丁度、杯の酒を余った瀝《しずく》まで静かに飲尽せるような心地《こころもち》で。二人は最早離れることもどうすることも出来ないものと成っていた。お雪は彼の奴隷で、彼はお雪の奴隷であった。

        九

「叔母さん――私も郷里《くに》へ行って参りますわ。宅から手紙が参りましてネ、どうも田舎《いなか》の家が円《まる》くいかないようだから、暫時《しばらく》お前は母親《おっか》さんの傍へ行ってお出なんて。まあ、どうしたというんでしょう。お嫁さんを貰うまでは、母親さんの眼の中へ入っても痛くない幸作さんでしたがねえ……私もイヤに成って了《しま》いますわ……彼方《あっち》へ行き、是方《こっち》へ行き、一つ処に落着いていられた例《ためし》は無いんですものね。叔父さんも、何でしたら、一度郷里へいらしって下さいましな。母親さんによく話してやって下さい。真実《ほんと》に、叔父さんにでも行って頂くと難有《ありがた》いんですけれど……」
 こう言って、豊世が三吉の家へ寄ったのは、八月の下旬であった。それに附添《つけた》して、
「名古屋へ私が手紙を出しました序《ついで》に、『駒形の家は月が好う御座んすが、そっちではどんな月を見てますか』ッて、そう申して遣《や》りましたら、『俺は物干へ出て月を見てる』なんて、そんな返事を寄しましたよ――彼方《あちら》も御暑いと見えますね」と夫のことを案じ顔に言った。彼女は留守宅を老婆《ばあさん》に托して行くこと、名古屋廻りの道筋を取って帰国することなどを、叔父や叔母に話して置いて、心忙しそうに別れて行った。
 三吉は父母の墓を造ろうと思い立っていた。山村に眠る両親の墳《つか》は未だそのままにしてあったので、幸作へ宛《あ》てて手紙を送って、墓石のことを頼んで遣った。返事が来た。石の寸法だの、直段書《ねだんがき》だのを細く書いて寄した。九月の下旬には、三吉は豊世からも絵葉書を受取った。
「其後、叔父様、叔母様には御変りもなく候《そうろう》や。国へ帰りて早や一月にも相成り候。こちらも思うように参らず、留守宅のことも案じられ、一日も早く東京へ参りたく候――」
 と細い筆で書いてある。
 秋も末に成って、幸作からは彫刻の出来上ったことを報知《しら》して来た。そこそこに三吉は旅の仕度《したく》を始めた。姉の様子も心に掛るので、諏訪《すわ》の方から廻って、先《ま》ず橋本の家へ寄り、それから自分の生れ故郷へ向うことにした。森彦や正太は名古屋に集っている。序に、帰りの旅は二人を驚かそうとも思った。お雪も夫の手伝いでいそがしかった。お種のことや、幸作夫婦のことや、未だ郷里《くに》に留まっている豊世のことなぞが、取散《とりちらか》した中で夫婦の噂《うわさ》に上った。
「橋本の姉さんも、親で苦労し、子で苦労し――まだその上に――最早《もう》沢山だろうにナア」
 と夫の嘆息する言葉を聞いて、お雪も姉の一生を思いやった。
 家を出て、三吉は飯田町の停車場《ステーション》へ向った。中央線は鉄道工事の最中で、姉の許《ところ》まで行くには途中一晩泊って、峠を一つ越さなければ成らなかった。それから先には峠の麓《ふもと》から馬車があった。
 この旅に、三吉は十二年目で橋本の家を見に行く人であった。故郷の山村へは十四年目で帰る。


 三吉を乗せた馬車が、お種の住む町へ近づいたのは、日の暮れる頃であった。深い樹木の間には、ところどころに電燈の光が望まれた。あそこにも、ここにも、と三吉は馬車の上から、町の灯を数えて行った。
 馬車は街道に添うて、町の入口で停った。馬丁《べっとう》の吹く喇叭《らっぱ》は山の空気に響き渡った。それを聞きつけて、橋本の家のものは高い石垣を降りて来た。幸作も来て迎えた。三吉はこの人達と一緒に、覚えのある石段を幾曲りかして上って行った。古風な門、薬の看板なぞは元のままにある。家へ入ると、高い屋根の下で焚《た》く炉辺《ろばた》の火が、先ず三吉の眼に映った。そこで彼は幸作の妻のお島や下婢《おんな》に逢《あ》った。お仙も奥の方から出て来た。
「姉さんは?」と三吉が聞いた。
「一寸《ちょっと》町まで行きました、姉様《あねさま》も一緒に。今小僧を迎えに遣りましたで、直ぐ帰って参りましょう」
 こう幸作が相変らず世辞も飾りも無いような調子で答えた。幸作は豊世のことを「御新造」と言わないで、「姉様」と呼ぶように成っていた。
「母親《おっか》さんもどんなにか御待兼でしたよ」
 とお島は客を款待顔《もてなしがお》に言った。この若い細君は森彦の周旋で嫁《かたづ》いて来た人で、言葉|遣《づか》いは都会の女と変らなかった。
「もう、それでも、皆な帰るぞなし」とお仙は叔父の方を見た。
 遅く着いた客の前には、夕飯の膳が置かれた。三吉が旅の話をしながら馳走《ちそう》に成っていると、そこへお種と豊世が急いで帰って来た。お種は提灯《ちょうちん》の火を吹消して上った。三吉と相対《さしむかい》に、炉辺の正面へドッカと坐ったぎり、姉は物が言えなかった。
「叔父さん、真実《ほんとう》によく被入《いら》しって下さいましたねえ」と豊世は叔父に挨拶《あいさつ》して、やがてお仙の方を見て、「お仙ちゃん、母親さんに御湯でも進《あ》げたら好いでしょう。今夜は叔父さんが御着きに成るまいと思っていらしったところへ、急に御見えに成ったものですから、母親さんは嬉しいのと――」
 お種はいくらか蒼《あお》ざめて見えた。お仙のすすめる素湯《さゆ》を一口飲んで、両手を膝《ひざ》の上に置きながら、頭を垂れた。
 ややしばらく経った後で、
「三吉、俺は何事《なんに》も言いません――これが御挨拶です」
 とお種は大黒柱を後にして言った。


 古めかしい奥座敷に取付けられた白い電燈の蓋《かさ》の下で、三吉は眼が覚《さ》めた。そこは達雄の居間に成っていたところで、大きな床、黒光りのする床柱なぞが変らずにある。庭に向いた明るい障子のところには、達雄の用いた机が、位置まで、旧《もと》の形を崩さないようにして置いてある。黄色い模様の附いた毛氈《もうせん》の机掛は、色の古くなったままで、未だ同じように掛っている。
 年をとったお種は、旅に来て寝られない弟よりも、早く起きた。三吉が庭に出て見る頃は、お種は箒《ほうき》を手にして、苔蒸《こけむ》した石の間をセッセと掃いていた。
「こんな山の中にも電燈が点《つ》くように成りましたかネ」と三吉が言った。
「それどこじゃ無いぞや。まあ、俺と一緒に来て見よや」
 こうお種は寂しそうに笑って、庭伝いに横手の勝手口の方へ弟を連れて行った。以前土蔵の方へ通った石段を上ると、三吉は窪《くぼ》く掘下げられた崖《がけ》を眼下《めのした》にして立った。
 削り取った傾斜、生々《なまなま》した赤土、新設の線路、庭の中央を横断した鉄道の工事なぞが、三吉の眼にあった。以前姉に連れられて見て廻った味噌倉も、土蔵の白壁も、達雄の日記を読んだ二階の窓も、無かった。梨畑《なしばたけ》、葡萄棚《ぶどうだな》、お春がよく水汲《みずくみ》に来た大きな石の井戸、そんな物は皆などうか成って了った。お種は手に持った箒で、破壊された庭の跡を弟に指して見せた。向うの傾斜の上の方に僅《わず》かに木小屋が一軒残った。朝のことで、ツルハシを担《かつ》いだ工夫の群は崖の下を通る。
 お種は可恐《おそろ》しいものを見るような眼付して、弟と一緒に奥座敷へ引返した。幸作は表座敷から来て、三吉の注文して置いた墓石が可成《かなり》に出来上ったこと、既に三吉の故郷へ積み送ったことなぞを話した。お種は妙に改まった。
 朝飯には、橋本の家例で、一同炉辺に集った。高い天井の下に、拭《ふ》き込んだ戸棚を後にして、主人から奉公人まで順に膳を並べて坐ることも、下婢が炉辺に居て汁を替えることも、食事をしたものは各自《めいめい》膳の仕末をして、茶椀《ちゃわん》から箸《はし》まで自分々々の布巾《ふきん》で綺麗に拭くことも――すべて、この炉辺の光景《さま》は達雄の正座に着いた頃と変らなかった。しかし、席の末にかしこまって食う薬方の番頭も、手代も、最早昔のような主従の関係では無かった。皆な月給を取る為に通って来た。
「御馳走」
 と以前の大番頭嘉助の忰《せがれ》が面白くないような顔をして膳を離れた。この人は幸作と同じに年季を勤めた番頭である。幸作は自分の席から、不平らしい番頭の後姿を見送って、「為《す》るだけのことを為れば、それで可いじゃないか」という眼付をした。
 賑《にぎや》かな笑声も起らなかった。お種は見るもの聞くもの気に入らない風で、嘆息するように家の内を見廻した。その朝、彼女は箸も執《と》らなかった。三吉を款待《もてな》すばかりに坐っていた。豊世やお仙は言葉少く食った。二人は飯の茶椀で茶を飲みながらも、皆なの顔を見比べた。
「母親さん、召上りませんか」
 とお島は姑《しゅうとめ》の方を見て、オズオズとした調子で言った。
「俺は牛乳を飲んだばかりだで……また後で食べる」
 とお種は答えたが、ぷいと席を立って、奥座敷の方へ行って了った。
 食後に、三吉は久
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