うに関《かま》わなくても困る。人の言うことも聞くもんですよ。山を発《た》つ時にも、日取が悪いから、一日延ばせというものを無理に発ったりなんかして、だからあんな不幸が有るなんて、後で近所の人に言われたりする……それはそうと、何だか私はこの家に居るのが厭《いや》に成った」
 こう言う妻の為にも、三吉は家を移そうと決心した。
 信心深い植木屋の人達は又、早く三吉の去ることを望んだ。何か、彼が禍《わざわい》を背負って、折角《せっかく》新築した家へケチを付けにでも来たように思っていた。それを聞くにつけても、三吉は早く去りたかった。


 外濠線《そとぼりせん》の電車は濠に向った方から九月の日をうけつつあった。客の中には立って窓の板戸を閉めた人もあった。その反対の側に腰掛けた三吉は、丁度家を探し歩いた帰りがけで、用達《ようたし》の都合でこの電車に乗合わせた。彼は森彦の旅舎《やどや》へも寄る積りであった。
 昇降《のりおり》する客に混って、二人の紳士がある停留場から乗った。
「小泉君」
 とその紳士の一人が声を掛けた。三吉は幾年振かで、思いがけなく大島先生に逢った。
 割合に込んだ日で、大島先生は空
前へ 次へ
全324ページ中92ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング