りがけに行く仕度をした。
「叔父さん、晩召上る物は用意して置きましたから」とお俊が言った。
「よし、よし、二人とも早くおいで。叔父さんが御留守居する――俺は独《ひと》りでノンキにやる」
 こう答えて、三吉はいくらかの小使を娘達にくれた。
 二人の姪は明日の七夕《たなばた》にあたることなどを言合って、互に祭の楽しさを想像しながら、出て行った。娘達を送出して置いて、三吉はぴッたり表の門を閉めた。掛金も掛けて了った。
 窓のところへ行くと、例の紅《あか》い花が日に萎《しお》れて見える。そのうちに三吉は窓の戸も閉めて了った。家の内は、寺院《おてら》にでも居るようにシンカンとして来た。
「これで、まあ、漸く清々《せいせい》した」
 と手を揉《も》みながら言ってみて、三吉は庭に向いた部屋の方へ行った。
 九月の近づいたことを思わせるような午後の光線は、壁に掛かった子供の額を寂しそうに見せた。そこには未だお房が居る。白い蒲団《ふとん》を掛けた病院の寝台《ねだい》の上に横に成って、大きな眼で父の方を見ている。三吉はその額の前に立った。光線の反射の具合で、玻璃《ガラス》を通して見える子供の写真の上には、
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