て行った。三吉は二人の姪に吩咐《いいつ》けて、新宿近くまで送らせた。


「俊は?」
 ある日の夕方、三吉は台所の方へ行って尋ねた。お延は茄子《なす》の皮を剥《む》いていた。
「姉様かなし、未だ帰って来ないぞなし」とお延は流許《ながしもと》に腰掛けながら答えた。
 一寸お俊は自分の家まで行って来ると言って、出た。帰りが遅かった。
「何とかお前に云ったかい」と叔父が心配そうに聞いた。
 お延は首を振って、復《ま》た庖丁《ほうちょう》を執《と》り上げた。茄子の皮は爼板《まないた》の上へ落ちた。
 待っても待ってもお俊は帰らなかった。夕飯が済んで、燈火《あかり》が点《つ》いても帰らなかった。八時、九時に成っても、未だ帰らなかった。
「必《きっ》と今夜は泊って来る積りだ」
 と言って見て、三吉は表の門を閉めに行った。掛金《かけがね》だけは掛けずに置いた。十時過ぎまで待った。到頭お俊は帰らなかった。
 次第に三吉は恐怖《おそれ》を抱《いだ》くように成った。いつもお俊が風呂敷包の置いてあるところへ行ってみると、着物だの、書籍《ほん》だのは、そのままに成っているらしい。三吉はすこし安心した。自分の部
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