かに昔の夢と変りつつあるか、曾《かつ》て三吉が直樹の家に書生をしている時分には、名高い大店《おおだな》の御隠居と唄われて、一代の栄華を極《きわ》め尽したような婦人も、いかに寄る年波と共に、下町の空気の中へ沈みつつあるか――こういう話を娘達にも聞かせた。
「俊、大屋さんの庭の方へ、直樹さんを御案内したら可《よ》かろう」
と叔父に言われて、お俊は花の絶えない盆栽|棚《だな》の方へ、植木好な直樹を誘った。お延も一緒に随《つ》いて行った。
若々しい笑声が庭の樹木の間から起った。三吉は縁側に出て聞いた。無垢《むく》な心で直樹や娘達の遊んでいる方を、楽しそうに眺めた。彼は、自分の羞恥《はじ》と悲哀《かなしみ》とを忘れようとしていた。
やがて娘達は、庭の鳳仙花《ほうせんか》を摘《と》って、縁側のところへ戻って来た。白いハンケチをひろげて、花や葉の液を染めて遊んだ。鳳仙花は水分が多くて成功しなかった。直樹は軒の釣荵《つりしのぶ》の葉を摘って与えた。お俊は鋏《はさみ》の尻でトントン叩《たた》いた。お延の新しいハンケチの上には、荵の葉の形が鮮明《あざやか》に印《いん》された。
暮れてから直樹は帰っ
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