も懲《こ》りましたよ。私がツケツケ言うもんですからネ、『お前はイケナい奴《やつ》に成った、今まではもっと優《やさ》しい奴だと思っていた』なんて、吾夫がそう言って笑うんですよ……でも、貴方、今までのような大きな量見でいられると、失敗するのは眼に見えています。どの位私達が苦労をしたか分りませんからネ――真実《ほんと》に、三吉さんなぞは堅くて好い」
 三吉は額へ手を当てた。
 間もなくお倉は、種々と娘の世話を焼きながら、連立って出て行った。
 両国橋辺の混雑を思わせるような夕方が来た。三吉は燈火《あかり》も点けずに、薄暗い部屋の内に震えながら坐っていた。何となく可恐《おそろ》しいところへ引摺込《ひきずりこ》まれて行くような、自分の位置を考えた。今のうちに踏留《ふみとど》まらなければ成らない、と思った。しばらく忘れていた妻のことも彼の胸に浮んだ。次第に家の内は暗く成った。遠く花火の上る音がした。


「残暑きびしく候《そうろう》ところ、御地皆々さまには御機嫌《ごきげん》よく御暮し遊ばされ候由、目出度《めでたく》ぞんじあげまいらせ候。ばば死去の節は、早速雪子|御遣《おつか》わし下され、ありがたく
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