た。
「叔母さん、お湯のお帰り?」
こう正太が、お雪の知らないうちに入って来て、声を掛けた。正太は叔母の後を通過ぎて、楼梯《はしごだん》を上った。
「正太さん、よくこの道路《みち》の悪いのに、御出掛でしたネ」
と三吉は二階に居て迎えた。
「ええ、叔父さんの許より外に、気を紛らしに行く処も有りませんから」
こう言って、正太は、長い紺色の絹を首に巻付けたまま、叔父の前に坐った。部屋の障子の玻璃《ガラス》を通して、湿った屋外《そと》の空気が見られる。何となく正太は向島の方へ心を誘われるような眼付をしていた。
「いかにも春の雪らしい感じがしますネ」と正太は叔父と一緒に屋外《そと》を眺めながら言った。
「正太さん、昨日僕は森彦さんの宿へ行ってネ。金の話が出ました。その序《ついで》に、種々《いろいろ》なことを話し込んだ。田舎へ行ったらどうです、それまで僕は言って見た――午後の三時から八時頃まで話した」
「や、そいつはエラかった。三時から八時に渡ったんじゃ――どうして。森彦叔父さんと貴方の対話が眼に見えるようです」
「しかし、話してみて、互に了解する場合は少いネ。僕の方で思うことは、真実《ほん
前へ
次へ
全324ページ中244ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング