宜敷|御頼申《おたのもう》します」と詫《わ》びるように言った。


 お俊の結婚がある頃は、三吉の家では名倉の母を迎えた。大きな名倉の家族に取って無くてならない調和者はこの人であった。「橋本の姉さんと、名倉の母親さんとは、丁度両方の端に居る人だ」と三吉はよくお雪に言って聞かせるが、この母は多くの養子に対してばかりでなく、娘を嫁《かたづ》けた先の三吉に対しても細《こまか》いところまで行き届く。倦《う》まず立働く人で、お雪の傍に居ても直に眼鏡《めがね》を掛けて、孫の為に継物したり、娘の仕事を手伝ったりした。
 丁度、勉も商用で上京していた。勉の旅舎《やどや》はさ程離れてもいなかったし、それに名倉の母が逗留《とうりゅう》中なので、用達《ようたし》の序《ついで》に来ては三吉の家へ寄った。お雪が母親の周囲《まわり》には賑《にぎや》かな話声が絶えなかった。
 こういう中で、とかく三吉は沈み勝ちであった。賢い名倉の母に隠れるようにして、日の暮れる頃には町の方へ歩きに出た。何処《どこ》へ行こう。何を見よう。別に彼はそんな目的《めあて》があるでもなかった。唯、家から飛出して行って、路を通る往来《ゆきき》
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