お倉の記憶に無いことを記憶していた。
「大きく『熊』という字を書いて、父親《おとっ》さんが座敷牢から見せたことが有ったぞや」とお種は弟に微笑《ほほえ》んで見せて、「皆な、寄《よ》って集《たか》って、俺を熊にするなんて、そう仰《おっしゃ》ってサ……」
「熊はよかった」と三吉が言った。
「それは、お前さん、気分が種々に成ったものサ。可笑《おか》しく成る時には、アハハ、アハハ、独りでもう堪《こた》えられないほど笑って、そんなに可笑しがって被入《いら》っしゃるかと思うと、今度は又、急に沈んで来る……私は今でもよく父親さんの声を覚えているが、きりぎりす啼《な》くや霜夜のさむしろに衣かたしき独りかも寝む、そう吟じて置いて、ワアッと大きな声で御泣きなさる……」
お種は激しく身体を震《ふるわ》せた。父が吟じたという古歌――それはやがて彼女の遣瀬《やるせ》ない心であるかのように、殊に力を入れて吟じて聞かせた。三吉は姉の肉声を通して、暗い座敷|牢《ろう》の格子に取縋《とりすが》った父の狂姿を想像し得るように思った。彼はお種の顔を熟《じっ》と眺めて、黙って了った。
この姉が上京する前、正太から話のあった
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