知らなかった。その時、三吉は両手を延ばして、背後《うしろ》から静かに姉の目を隠した。
 この戯は、寧《むし》ろお種をビックリさせた。彼女は右の手に草箒を振りながら、叫んだ。何事かと、正太や豊世は顔を出した。三吉は笑いながら姉の前に立っていた。
「お前さんか――俺《おれ》は真実《ほんとう》に、誰かと思ったぞや」
 とお種も笑って、「まあ、お入り」と言いながら、弟と一緒に石段を上った。
「姉さん」と三吉は家へ入ってから言った。「一寸御使にやって来たんです。明日は私の家で御待申していますから、何卒《どうか》御話に入来《いら》しって下さい」
「それは難有《ありがと》う。私もお前さんの許《とこ》の子供を見に行かずと思っていた。それに、久し振でお雪さんにも御目に掛りたいし……」
 こういうお種の顔色には、前の晩に見たより焦心《あせ》っているようなところが少なかった。その沈んだ調子が、反《かえ》って三吉を安心させた。
 正太と二人きりに成った時、三吉は姉の様子を尋ねて見た。
「母親さんも考えて来たようです」と正太は前の夜の可恐《おそろ》しかったことを目で言わせた。
「なにしろ、君、出て来る早々ああい
前へ 次へ
全324ページ中184ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング