った。これでどうして遣《や》って行かれると祖父祖母が顔を見合せた時に、折よく大名が通りかかって、一夜に大勢の客をして、それから復た取り付いた。こんな話から始めて、街道一と唄《うた》われた美しい人が家に生れたこと、その女の面影をお倉もいくらか記憶していることなぞを語り聞かせた。
「へえ、叔母さんは真実《ほんと》に覚えが好い」と正太も昔|懐《なつか》しい眼付をした。
 お倉の話は父忠寛の晩年に移って行った。狂死する前の忠寛は、眼に見えない敵の為に悩まされた。よく敵が責めて来ると言い言いした。それを焼払おうとして、ある日|寺院《てら》の障子に火を放った。親孝行と言われた実も、そこで拠《よんどころ》なく観念した。村の衆とも相談の上、父の前に御辞儀をして、「子が親を縛るということは無い筈ですが、御病気ですから許して下さい」と言って、後ろ手にくくし上げた。それから忠寛は木小屋に仮に造った座敷|牢《ろう》へ運ばれた。そこは裏の米倉の隣りで、大きな竹藪《たけやぶ》を後にして、前手《まえで》には池があった。日頃一村の父のように思われた忠寛のことで、先生の看護と言って、村の人々はかわるがわる徹夜で勤めに来
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