は言って置きましょう」
遠く満洲の方へ行った実の噂、お俊の縁談などをして、弟は帰った。
正太は兜町の方に居た。塩瀬の店では、皆な一日の仕事に倦《う》んだ頃であった。テエブルの周囲《まわり》に腰掛けるやら、金庫の前に集るやらして、芝居見物の話、引幕の相談なぞに疲労《つかれ》を忘れていた。煙草のけぶりは白い渦を巻いて、奥の方まで入って行った。
土蔵の前には明るい部屋が有った。正太は前に机を控えて、幹部の人達と茶を喫《の》んでいた。小僧が郵便を持って来た。正太|宛《あて》だ。三吉から出した手紙だ。家の方へ送らずに、店に宛てて寄《よこ》すとは。不思議に思いながら、開けて見ると、内には手紙も無くて、水天宮の護符《まもりふだ》が一枚入れてあった。
正太はその意味を読んだ。思わず拳《こぶし》を堅めてペン軸の飛上るほど机をクラわせた。
「橋本君、そりゃ何だネ」と幹部の一人が聞いた。
「こういう訳サ」正太は下口唇を噛《か》みながら笑った。「昨日一人の叔父が電話で出て来いというから、僕が店から帰りがけに寄ったサ。すると、例の一件ネ、あの話が出て、可恐《おそろ》しい御目玉を頂戴した。この叔父の方
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