「失礼します」
 こう兄と客とは三吉に言って、復た碁盤を眺《なが》めた。両方で打つ碁石は、二人の長い交際と、近づきつつある老年とを思わせるように、ポツリポツリと間を置いては沈んだ音がした。
 一石終った。客は帰って行った。森彦は弟の方へ肥った体躯《からだ》を向けた。
「葉書の用は他《ほか》でも無いがネ、どうも近頃正太のやつが遊び出したそうだテ。碌《ろく》に儲けもしないうちから、最早あの野郎《やろう》遊びなぞを始めてケツカル」
 こう森彦が言出したので、思わず三吉の方は微笑《ほほえ》んだ。
「実は、二三日前に豊世がやって来てネ、『困ったものだ』と言うから俺がよく聞いてみた。なんでも小金という芸者が有って、その女に正太が熱く成ってるそうだ。豊世の言うことも無理が無いテ。彼女《あれ》が塩瀬の大将に逢った時に、『橋本さんも少し気を付けて貰わないと――』という心配らしい話が有ったトサ。折角あそこまで漕《こ》ぎ着けたものだ。今信用を落しちゃツマラン。『叔父さんからでも注意して貰いたい』こう彼女《あれ》が言うサ」
「その女なら、私も此頃《こないだ》正太さんと一緒に一度|逢《あ》いました……あれを
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