させながら出て行った。
 土地に居着《いつき》のものは、昔の深川芸者の面影《おもかげ》がある。それを正太は叔父に見て貰いたかった。こういうところへ来て、彼は江戸の香を嗅《か》ぎ、残った音曲を耳にし、通人の遺風を楽しもうとしていた。
 小金、老松、それから今一人の年増が一緒に興を添えに来た。老松は未だ何処かに色香の名残《なごり》をとどめたような老妓で、白い、細い、指輪を嵌《は》めた手で、酒を勧《すす》めた。
「老松さん、今夜はこういう客を連れて来ました」と正太が言った。「御馳走《ごちそう》に何か面白い歌を聞かせて進《あ》げて下さい」
 老松は三吉の方を見て、神経質な額と眼とで一寸《ちょっと》挨拶した。
「どうです、この二人は――何方《どっち》がこれで年長《としうえ》と見えます」と復た正太が言った。
「老松姐さん、私は是方《こちら》の方がお若いと思うわ」と小金が三吉を指して見せた。
「私もそう思う」と老松は三吉と正太とを見比べた。
「ホラ――ネ。皆なそう言う」と正太は笑って、「これは私の叔父さんですよ」
「是方《こちら》が橋本さんの叔父さん?」老松は手を打って笑った。
「叔父さんは好かった
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