びに行く方へ向いていた。電車で、ある停留場まで乗って、正太は更に車を二台命じた。車は大きな橋を渡って、また小さな橋を渡った。


 風は無いが、冷える晩であった。三吉は正太に案内されて、広い静かな座敷へ来ていた。水に臨んだ方は硝子戸《ガラスど》と雨戸が二重に閉めてあって、それが内の障子の嵌硝子《はめガラス》から寒そうに透けて見えた。
 女中が火を運んで来た。洋服で震えて来た三吉は、大きな食卓の側に火鉢《ひばち》を擁《かか》えて、先《ま》ず凍えた身体を温めた。
 正太は料理を通して置いて、
「それからねえ、姉さん、小金さんに一つ掛けて下さい」
「小金さんは今、彼方《あちら》の御座敷です」
「『先程は電話で失礼』――そう仰《おっしゃ》って下されば解ります」
 それを聞いて、女中は出て行った。
「叔父さん、こうして名刺を一枚出しさえすれば、何処《どこ》へ行っても通ります――塩瀬の店は今兜町でも売《うれ》ッ子なんですからネ」と正太は、紙入から自分の名刺を取出して、食卓の上に置いて見せた。
 正太の話は兜町の生活に移って行った。漸《ようや》く塩瀬の大将に知られて重なる店員の一人と成ったこと、その
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