が楽みだか知れませんでしたよ。お近う御座いますから、復《ま》たこれから度々《たびたび》寄せて頂きます」
 こう豊世は優しく言って、心忙《こころぜ》わしそうに帰って行った。お雪は張物板を取込みに出た。


 暗くなってから、三吉は帰って来た。彼は新規な長い仕事に取掛った頃であった。遊び疲れて早く寝た子供の顔を覗《のぞ》きに行って、それから洋服を脱ぎ始めた。お雪は夫の上衣《うわぎ》なぞを受取りながら、
「先刻《さっき》、豊世さんが被入《いら》ッしゃいましたよ。橋本の姉さんから小鳥を頂きました」
「へえ、そいつは珍しい物を貰ったネ。豊世さん、豊世さんッて、よくお前は噂《うわさ》をしていたっけが。どうだね、あの人の話は」
「私なぞは……ああいう人の傍へは寄れない」
「よく交際《つきあ》って見なけりゃ解らないサ。なにしろ親類が川の周囲《まわり》へ集って来たのは面白いよ」
 三吉は白シャツまで脱いだ。そこへ正太がブラリと入って来た。芝居の噂や長唄《ながうた》の会の話なぞをした後で、
「叔父さん、私は未だ御飯前なんです」
 こんなことを言出した。その辺へ案内して、初冬らしい夜を語りたいというのであっ
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