甘《うま》い」と森彦は吸物の出来を賞《ほ》めて、気忙《せわ》しなく吸った。
「さ、何卒《どうか》おかえなすって下さい」と、旧い小泉の家風を思わせるように、お倉は款待《もてな》した。
 皆な笑いながら食った。
 間もなく森彦、三吉の二人は兄の家を出た。半町ばかり泥濘《ぬかるみ》の中を歩いて行ったところで、森彦は弟を顧みて、
「あの位、俺が言ったら、兄貴もすこしはコタえたろう」
 と言ってみたが、その時は二人とも笑えなかった。実の家族と、病身な宗蔵とは、復た二人の肩に掛っていた。


「鶴ちゃん」
 とお俊は、叔父達の行った後で、探して歩いた。
「父さんが明日|御出発《おたち》なさるというのに……何処へ遊びに行ってるんだろうねえ……」
 と彼女は身を震わせながら言ってみた。一軒心当りの家へ寄って、そこで妹が友達と遊んで帰ったことを聞いた。急いで自分の家の方へ引返して行った。
 こんなに急に父の満洲行が来ようとは、お俊も思いがけなかった。家のものにそう委《くわ》しいことも聞かせず、快活らしく笑って、最早|旅仕度《たびじたく》にいそがしい父――狼狽《ろうばい》している母――未だ無邪気な妹――お
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