の》んだ。その時実は起《た》って行って、戸棚《とだな》の中から古い箱を取出した。塵埃《ほこり》を払って、それを弟の前に置いた。
「これは三吉の方へ遣《や》って置こう」
と保管を托《たく》するように言った。父の遺筆である。忠寛を記念するものは次第に散って了った。この古い箱一つ残った。
「どれ、話すことは早く話して了おう」と森彦が言出した。
お俊は最早《もう》気が気でなかった。母は、と見ると、障子のところに身を寄せて、聞耳を立てている。従姉妹《いとこ》は長火鉢《ながひばち》の側に俯向《うつむ》いている。彼女は父や叔父達の集った部屋の隅《すみ》へ行って、自分の机に身を持たせ掛けた。後日のために、よく話を聞いて置こうと思った。
「そんなトロクサいことじゃ、ダチカン」と森彦が言った。「満洲行と定《き》めたら、直ぐに出掛ける位の勇気が無けりゃ」
「俺も身体は強壮《じょうぶ》だしナ」と実はそれを受けて、「家の仕末さえつけば、明日にも出掛けたいと思ってる」
「後はどうにでも成るサ。私《わし》も居《お》れば、三吉も居る」
「むう――引受けてくれるか――難有《ありがた》い。それをお前達が承知してくれさ
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