うに聞える。全盛を極める人があるらしい。何時《いつ》の間にか、榊や正太は腰の低い「幇間《たいこもち》」で無かった。意気|昂然《こうぜん》とした客であった。
「向うの座敷じゃ、大《おおい》にモテるネ」
 と榊は正太に言った。ここにも二人は言うに言われぬ侮辱を感じた。それに、扱いかねている女中の様子と、馴染の無い客に対する妓の冷淡とが、何となく二人の矜持《ほこり》を傷《きずつ》けた。殊に、榊は不愉快な眼付をして、楽しい酒の香を嗅《か》いだ。
「貴方《あなた》一つ頂かして下さいな」
 とその中年増が、自信の無い眼付をして、盃を所望した。世に後《おく》れても、それを知らずにいるような人で、座敷を締める力も無かった。
 そのうちに、今一人若い妓《おんな》が興を助けに来た。歌が始まった。
「姐さん、一つ二上《にあが》りを行こう」
 と言って、正太は父によく似た清《すず》しい、錆《さび》の加わった声で歌い出した。
「好い声だねえ。橋本君の唄《うた》は始めてだ」と榊が言った。
「叔父さんの前で、私が歌ったのも今夜始めてですね」と正太は三吉の方を見て微笑《ほほえ》んだ。
「小泉君の酔ったところを見たこと
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