客分として扱われた。二人ともまだ馴染《なじみ》が少なかった。正太は店の大将にすらよく知られていなかった。毎日のように彼は下宿から通った。
 秋の蜻蛉《とんぼ》が盛んに町の空を飛んだ。塩瀬の店では一日の玉高《ぎょくだか》の計算を終った。後場《ごば》は疾《と》うに散《ひ》けた。幹部を始め、その他の店員はいずれも帰りを急ぎつつあった。電話口へ馳付《かけつ》けるもの、飲仲間を誘うもの、いろいろあった。正太は塩瀬の暖簾《のれん》を潜《くぐ》り抜けて、榊の待っている店の方へ行った。
 二人は三吉の家をさして出掛けた。大きな建築物《たてもの》のせせこましく並んだ町を折れ曲って電車を待つところへ歩いて行った。株の高低に激しく神経を刺激された人達が、二人の前を右に往き、左に往きした。電車で川の岸まで乗って、それから復た二人はぶらぶら歩いた。
 途中で、榊は立留って、
「成金が通るネ――護謨輪《ゴムわ》かなんかで」
 と言って見て、情婦の懐《ふところ》へと急ぎつつあるような、意気揚々とした車上の人を見送った。榊も正太も無言の侮辱を感じた。榊は齷齪《あくせく》と働いて得た報酬を一夕の歓楽に擲《なげう》とうと
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