。お雪と姪とは、互に明るく映る顔を見合せた。二人は手を引き合って歩いた。戻りがけに、町中を流れる暗い静かな水を見た。お雪は直樹の家に近く引移って来たことを思った。


 三吉は最早《もう》響の中に居た。朝の騒々しさが納まった頃は、電車の唸《うな》りだの、河蒸汽の笛だのが、特別に二階の部屋へ響いて来た。
「叔父さん、障子張りですか」
 と言いながら、正太が楼梯《はしごだん》を上って来た。正太は榊《さかき》と相前後して、兜町の方へ通うことに成った。
「相場師が今頃訪ねて来ても好いのかね」と三吉は笑って、張った障子を壁に立掛けた。
「いえ、私はまだ店へ入ったばかりで、お客さまの形です。今ネ、一寸場を覗《のぞ》いて、それから廻って来ました」
 正太は叔父の側で一服やって、袂《たもと》から細い打紐《うちひも》を取出した。叔父の家にある額の釣紐にもと思って、途中から買求めて来たのである。彼はこういうことに好く気がついた。
 壁には田舎屋敷の庭の画が掛けてあった。正太はその釣紐を取替えて、結び方も面白く掛直してみた。その画は、郊外に住む風景画家の筆で、三吉に取っては忘れ難い山の生活の記念であった。

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