「叔父さん、叔母さんが御帰りですよ」
と二人の姪は、叔父を呼ぶやら、叔母の方へ行くやらして、門の外まで出て迎えた。二つの車に分けて載せてある手荷物は、娘達が手伝って、門の内へ運んだ。
「どうも長々|難有《ありがと》う御座いました」
と娘達に礼を言いながら、お雪は入口のところで車代を払って、久し振で夫や姪の顔を見た。
「種ちゃんもお腹《なか》が空《す》いたでしょう。先《ま》ず一ぱい呑みましょうネ」
とお雪が懐をひろげた。三吉は子供のウマそうに乳を呑む音を聞きながら、「ああ、好いところへお雪が帰って来てくれた」と思った。
娘達は茶を入れて持って来た。お雪は乾いた咽喉《のど》を霑《うるお》して、旅の話を始めた。やがて、汽船宿の扱い札などを貼付《はりつ》けた手荷物が取出された。
「父さん、済みませんが、この鞄《かばん》を解《ほど》いてみて下さいな。お俊ちゃん達に進《あ》げる物がこの中に入っている筈《はず》です――生家《うち》の父親さんはこんなに堅く荷造りをしてくれて」
こうお雪が言った。
幾年振かで生家《さと》の方へ行ったお雪は、多くの親戚から送られた種々な土産物《みやげもの》を持って帰って来た。これは名倉の姉から、これは※[#「※」は「○の中にナ」、67−17]の姉から、これは※[#「※」は「ひとがしら+ナ」、67−17]の妹から、とそこへ取出した。※[#「※」は「○の中にナ」、67−17]は彼女が二番目の姉の家で、※[#「※」は「ひとがしら+ナ」、67−18]は妹のお福の家である。「名倉母より」とした土産がお俊やお延の前にも置かれた。
この荷物のゴチャゴチャした中で、お雪は往復《いきかえり》の旅を混合《とりま》ぜて夫に話した。
「私が生家《うち》へ着きますとネ、しばらく父親さんは二階から下りて来ませんでしたよ。そのうちに下りて来て、台所へ行って顔を洗って、それから挨拶しました。父親さんは私の顔を見ると、碌《ろく》に物も言えませんでした……」
「余程嬉しかったと見えるネ」
「よくこんなに早く仕度して来てくれたッて、後でそう言って喜びました。私が行くまで、老祖母《おばあ》さんの葬式も出さずに有りましたッけ」
お雪の話は帰路《かえり》のことに移って行った。出発の日は、姉妹《きょうだい》から親戚の子供達まで多勢波止場に集って別離《わかれ》を惜んだこと、妹のお福なぞは船まで見送って来て、漕ぎ別れて行く艀《はしけ》の方からハンケチを振ったことなぞを話した。お雪は又、やや躊躇《ちゅうちょ》した後で、帰路《かえり》の船旅を妹の夫と共にしたことを話した。
「へえ、勉さんが一緒に来てくれたネ」と三吉が言った。
「商法《あきない》の方の用事があるからッて、※[#「※」は「ひとがしら+ナ」、68−13]が途中まで送って来ました」
お雪が勉のことを話す場合には、「福ちゃんの旦那《だんな》さん」とか、「※[#「※」は「ひとがしら+ナ」、68−14]」とか言った。なるべく彼女は旧《ふる》いことを葬ろうとしていた。唯、親戚として話そうとしていた。それを三吉も察しないでは無かった。彼の方でも、唯、親戚として話そうとしていた。
旅の荷物の中からは、お雪が母に造って貰った夏衣《なつぎ》の類が出て来た。ある懇意な家から餞別《せんべつ》に送られたという円《まる》みのある包も出て来た。
まだ客のような顔をして、かしこまっていた下婢は、その包を眺めて、
「※[#「※」は「ひとがしら+ナ」、69−1]さんがそれを間違えて、『何だ、これは、水瓜《すいか》なら食え』なんて仰有《おっしゃ》って、船の中で解《ほど》いて見ましたッけ……」
「青い花瓶《かびん》……」
とお雪は笑った。
勉には、三吉も直接に逢《あ》っていた。以前彼が名倉の家を訪ねた時に、既に名のり合って、若々しい、才気のある、心の好さそうな商人を知った。
「どれ、御線香を一つ上げて」
とお雪は仏壇の方へ行って、久し振で小さな位牌《いはい》の前に立った。土産の菓子や果物《くだもの》などを供えて置いて、復た姪の傍へ来た。
「真実《ほんと》にお俊ちゃんも、御迷惑でしたろうねえ――さぞ、東京はお暑かったでしょうねえ――」
「ええ、今年の暑さは別でしたよ」
「彼地《あちら》もお暑かったんですよ」
こんな言葉を親しげに交換《とりかわ》しながら、お雪は家の内を可懐《なつか》しそうに眺め廻した。彼女は、左の手の薬指に、細い、新しい指輪なども嵌《は》めていた。
そのうちにお雪は旅で汚《よご》れた白|足袋《たび》を脱いだ。彼女は台所の方へ見廻りに行って、自分が主に成って働き始めた。
お俊が叔父や叔母に礼を述べて、自分の家をさして帰って行ったのは、それから二三日過ぎてのことであった。「すっかり私は叔父さんの
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