ぞと忸々《なれなれ》しく呼んだ旦那衆が、改まってやって来て、「小泉君」とか「三吉君」とか言葉を掛けた。主人を始め、集って来る人達は大抵忠寛の以前の弟子であった。
「でも、忠寛先生の時分には――いくら無いと言っても――六七十俵の米は蔵に積んであった。皆な兄さんが亡くしたようなものだわい」
こう笑い話のようにして、高い酔った声で旧《むかし》を語るものもあった。
人を避けて、復た三吉は縁側の障子の外へ出てみた。家は破れても、山々の眺望は変らずにある。傾斜の下の方には、石を載せた板屋根、樹木の梢《こずえ》などが見える。秋は深い。最早霜が来たらしい桑畠の中には、色づいた柿の葉が今にも落ちそうに残っている。
何となく時雨《しぐ》れて来た。
荒廃した街道について、三吉は故郷の村から美濃の方へ下りた。二里ばかり送って随いて来るものも有った。ある町へ出た。そこで名古屋行の汽車に間に合った。
正太が泊っているのはやはり株式に関係した人の自宅であった。三吉は名古屋へ入って、清潔な「閑所」の多い、格子窓の続いたある町の中に、その宿を見つけた。
「誰方《どなた》?」
茶色な暖簾《のれん》を分けて、五十近い年|恰好《かっこう》の婦人が顔を出した。
「小泉です。橋本の叔父です」
叔父と聞いて、婦人は三吉を静かな奥深い客間へ案内した。正太も豊世も出て居なかった。その時、三吉は、この婦人の口から、正太が既に名古屋の相場で失敗したことを聞いた。この婦人の若い養子も、正太と手を組んで、大きな穴を開けたと聞いた。
午後の四時頃に正太夫婦は散歩から戻って来た。表二階が正太の借りている部屋であった。
「豊世、何かお前は叔父さんに見て来て進《あ》げたら可かろう」
と正太は買物を命じて置いて、表から裏口へ通り抜けられる土間の板を渡った。三吉もその後から、この家の母親が坐っている部屋を横に見て、高い壁に添うて、箱梯子《はこばしご》を上った。
二階は薄暗かった。三吉は正太と窓に近く坐って、互に顔を見合せた。正太が相場の失敗を語り出す前に、その意味は叔父の方へ通じていた。
「や、種々《いろいろ》な話が有る」
と三吉は正太の並べる言葉を遮《さえぎ》った。何となく正太は悄然《しょんぼり》としていた。それを見て、叔父は自分の旅を語り始めた。
「どうも叔父さん、種々御世話様で御座いました」と豊世が上って来て言った。「なんですか、私も是方《こっち》へ来てから、また母親さんが一人|加《ふ》えたような気がしますわ」
階下《した》に住む婦人がナカナカのエラ者で、商売《あきない》の道にも明るく、養子の失敗を憂えていることなぞが、かわるがわる正太夫婦の口から出た。そのうちに、正太は、「お前はそっちへ行ってお出」と豊世に眼で言わせて、黙然《もくねん》と叔父の前に頭を垂れた。
「叔父さん、私もいよいよ洗礼を受けました」
こんなことを言出した。三吉は不思議そうに甥《おい》の顔を見た。
「実は――」と正太は沈痛な語気で、「熱田《あつた》へ遊びに参りましたら、その帰り道で洗礼を受けました――二度、喀血《かっけつ》しました」
「叔父さん」と正太は男らしい響のある調子に返った。「私もこれから大に遣ります。医者に診《み》て貰いましたところが、『お前の病気は自分で作った病気だ、精神の過労から出た病気だ、下手《へた》にクヨクヨするな、そのかわり三年や四年でマイって了うようなものじゃ無い、十年の生命《いのち》は引受けた』と言ってくれましたんです。『仕事を為ても構わんか』と聞いたら、『差支《さしつかえ》は無い』ッて言いますからネ。『よし』と、『それじゃ俺はこれからウンと遣って見せる、この病気に罹《かか》ってから事を成した者は――いくらもある』こういう覚悟を抱いたんです」
「どうだネ、どんな心地《こころもち》がするネ」と三吉は病人扱いにしたくなく尋ねた。
「何となく、こう厳粛な心地が起って来ました……」
「そいつは面白いナ。何だねえ、正太さん、今日までのことは忘れて行《や》るんだネ。是非とも親譲りの重荷をどうしなけりゃ成らんとか、なんとか、そんなことは先ず側《わき》に置くんだネ。自分は自分の為るだけのことを為る――それで可いじゃないか」
「私もその積りです。それにネ、叔父さん、銀行側の人ですら、『もう達雄さんも好い加減にして帰って来たら好かろう』――なんて言ってくれた人もあるんです」
「今度の旅は、君の家でも大分ヤカマシかった。僕は君、三晩とも碌に寝ずサ。姉さんに向って種々なことを言って、終《しまい》には、赤い着物の話まで出た。そこまで僕は姉さんには言わなかったが、何故達雄さんが家を出る時に、自分の為たことは自分で責任を負います……赤い着物でも何でも着ます……そのかわり妻子に迷惑を掛けてくれ
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