は汽車の時間を問合せた。叔父と一緒に一晩そこで泊らせて貰って、一番で名古屋へ発ちたいと言った。こう頼む人を翌朝《よくあさ》停車場へ送り届けた時は、三吉も漸く気楽な一人に成ることが出来た。
 深い秋雨に濡《ぬ》れながら、三吉は森彦が家のある村へ入った。そこまで行けば、木曾川を離れて、山林の多い傾斜を上るように成る。三吉が生れ故郷の隣村である。森彦の養家は小泉兄弟の母親の里で、姓は同じ小泉であった。養父は疾《とう》に亡くなっていた。留守居する養母、妻、子供は、三吉の周囲《まわり》に集った。その日は、名古屋の方に居る森彦、東京に修業中のお延、お絹の噂で持切った。
 旧《むかし》の街道は木曾風の屋造《やづくり》の前にあった。従順な森彦の妻は夫を待侘顔《まちわびがお》に見えた。


 大きな木曾谷は次第に尽きて来た。兄の村を離れて、更に三吉は山林の間の坂道を上った。二里ばかり歩いた。峠の一部落から一緒になった男と連立って進んで行くと、子供の時に見馴《みな》れた山々が谷の向にあらわれて来た。
「三吉様。その外套《がいとう》も私が持たず」
 と連の男が往時《むかし》と同じ調子で言って、辞退する三吉の外套を無理やりに引取った。この男は、「カルサン」を穿《は》いて、三吉の荷物まで自分の肩に掛けていた。
「構って下さらない方が、私は難有《ありがた》いんです。今度は唯墓参りに来たんです」
 こう話し話し行く三吉は、高い山の上の日のあたった道を歩いていた。旧い馴染《なじみ》の人達に見つからないうちに、彼は独りで、自分の生れた家の跡を見て廻ろうとした。途中で、寺の方へ向う連の男に別れた。
 洋服に草鞋穿《わらじばき》で、寂しい旅人のように、三吉は村へ入った。ずっと以前大火があって駅路の面影《おもかげ》もあまり残っていなかった。そこは美濃路《みのじ》の方へ下りようとする山の頂にあった。傾斜に成った道の両側には、新規に建った家だの、焼残った家だのが、樹木の間に出たり引込んだりして並んでいた。畠に成っているところもあった。
 石垣の上には十一二ばかりに成る女の児が遊んでいた。猿羽織というものを着て、何処の人が通るかと三吉の方を見ていた。三吉は勝手が違ったように、心覚えの場所を探した。
「ここらに小泉という家があった筈《はず》ですが――知りませんか」
 とその女の児に一寸《ちょっと》尋ねた。小娘は妙な顔をして、
「そこだに」
 と直ぐ眼前《めのまえ》にある桑畠を指して見せた。
 連の男は迎えに来た。村を横に切れて、田畠の間の細い道を小山の方へ登ると、小泉の先祖が建立《こんりゅう》したという古い寺がある。復た三吉は独りで山腹の墓地へ廻って見た。寺の名と同じ戒名《かいみょう》を刻んだ先祖の墓の前を通り過ぎて、墓地の出はずれまで行った。その眺望の好い、静かな一区域は、父母の眠っている場所だ。幸作に頼んで作った新しい墓石は墳《つか》の前に建ててあった。
 幼い記憶が浮んで来た。以前から見ると明るく成った樹木の間から、三吉は村の家々を望んだ。「旦那衆」の住居は多くは焼けて小さく成った。昔は頭の挙らなかった百姓の部落の方に沢山新らしい家が建込んでいた。
 旧い馴染《なじみ》の人達は、何時《いつ》までも三吉を独りにしては置かなかった。その翌日は、彼は寺の広間で、墓参の為に集って来た遠い近い親戚とか、出入の百姓とか、その他小泉の昔を忘れずにいる男や女の多勢ゴチャゴチャ集った中に居た。
 三日目に三吉は以前の隣家へ移った。大きな酒屋を営んでいた家で、小泉の屋敷跡も今ではその所有に成っている。二階の客間は、丁度以前の小泉の奥座敷と同じ向にあって、遠い美濃《みの》の平野を一段高く望まれるような位置にある。そこへ主人は三吉を誘った。桑畠は直ぐ石垣の下にあった。忠寛の書院、母やお倉のよく縫物をした仲の間、実の居た「くつろぎ」の間、上段、離れ、会所などと名のつけてあった広い部屋々々の跡は、眼下《めのした》に見ることが出来る。温厚な長者らしい主人は、自分も往時《むかし》を思出したという風で、三吉と一緒に縁側に立って、あそこに井戸があった、ここに倉があった、と指して見せた。忠寛の座敷牢のあったという木小屋の辺《あたり》は未だ残っていた。三吉が祖母の隠居していた二階建の離れには、今は主人の老母が住むとのことであった。
「や、小泉さんに進《あ》げるものが有る」
 と主人は、手を鳴らして酒を呼んだ後で、桑畠の中から掘出されたという忠寛の石印を三つばかり三吉の前に置いた。
 古い鏡も掘出されたことを、主人は語った。忠寛の書院の前にあった牡丹《ぼたん》は、焼跡から芽を吹いて、今でも大きな白い花が咲く。こんな話もした。
 この明るい二階へも、村の人や三吉の学校友達が押掛けて来た。以前は、「オイ、三公」な
前へ 次へ
全81ページ中72ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング