に燃《とぼ》る蝋燭《ろうそく》の火を眺めながら、三吉は窓に近い壁のところに倚凭《よりかか》っていた。
「叔父さん、お疲れでしょう」と正太は三吉の前に立った。
「なにしろ、君、初《はな》の一週間は助けたい助けたいで夜も碌《ろく》に眠らないでしょう。後の一週間は、子供の側に居るのもこれかぎりか、なんと思って復た起きてる……終《しまい》には、半分眠りながら看護をしていましたよ。すこし身体を横にしようものなら、直にもう死んだように成って了って……」
「私なぞも、どうかすると豊世に子供でも有ったら、とそう思うことも有りますが、しかし叔父さんや叔母さんの苦むところを見ていますと、無い方が好いかとも思いますネ」
「正太さん、煙草を持ちませんか。有るなら一本くれ給えな」
正太は袂《たもと》を探った。三吉は甥がくれた巻煙草に火を点《つ》けて、それをウマそうに燻《ふか》してみた。葬式の準備やら、弔辞《くやみ》を言いに来る人が有るやらで、家の内は混雑《ごたごた》した。三吉は器械のように起《た》ったり坐ったりした。
葬式の日は、親類一同、小さな棺の周囲《まわり》に集った。三吉が往時《むかし》書生をしていた家の直樹も来た。この子息《むすこ》は疾《とっく》に中学を卒業して、最早|少壮《としわか》な会社員であった。
お俊も来た。
「叔父さん、今日は吾家《うち》の阿父《おとっ》さんも伺う筈《はず》なんですが……伺いませんからッて、私が名代《みょうだい》に参りました」とお俊は三吉に向って、父の実が謹慎中の身の上であることを、それとなく言った。
その日は、お愛も長い紫の袴《はかま》を着けて来た。こうして東京に居る近い親類を見渡したところ、実を除いての年長者は、さしあたり森彦だ。森彦は、若い人達の発達に驚くという風で、今では学校の高等科に居るお俊や、優美な服装をしたお愛などに、自分の娘を見比べた。
正太は花を買い集めて来た。眠るようなお房の顔の周囲《まわり》はその花で飾られた。「お雪、房ちゃんの玩具《おもちゃ》は一緒に入れて遣ろうじゃないか」と三吉が言えば、「そうです、有ると反《かえ》って思出して不可《いけない》」と正太も言って、毬《まり》だの巾着《きんちゃく》だのを棺の隅々《すみずみ》へ入れた。
「余程毛糸が気に入ったものと見えて、眼が見えなく成っても、未だ毛糸のことを言っていました」とお雪は、病院に居る間、子供に買ってくれた物を取出した。
「それも入れて遣れ」
一切が葬られた。やがてお房は二人の妹の墓の方へ送られた。お雪は門の外へ出て、小さな棺の分らなくなるまでも見送った。「最早お房は居ない」こう思って、若葉の延びた金目垣《かなめがき》の側に立った時は、母らしい涙が流れて来た。お雪は家の内へ入って、泣いた。
山から持って来た三吉の仕事は意外な反響を世間に伝えた。彼の家では、急に客が殖《ふ》えた。訪ねて来る友達も多かった。しかし、主人《あるじ》は居るか居ないか分らないほどヒッソリとして、どうかすると表の門まで閉めたままにして置くことも有った。
三吉は最早、子供なぞはどうでも可いと言うことの出来ない人であった。多くの困難を排しても進もうとした努力が、どうしてこんな悲哀《かなしみ》の種に成るだろう、と彼の眼が言うように見えた。「彼処《あすこ》に子供が三人居るんだ」――この思想《かんがえ》に導かれて、幾度《いくたび》か彼の足は小さな墓の方へ向いた。家から墓地へ通う平坦《たいら》な道路《みち》の両側には、すでに新緑も深かった。到る処の郊外の日あたりに、彼は自分の心によく似た憂鬱《ゆううつ》な色を見つけた。しかし彼は、寺の周囲《まわり》を彷徨《さまよ》って来るだけで、三つ並んだ小さな墓を見るに堪《た》えなかった。それを無理にも行こうとすれば、頭脳《あたま》がカッと逆上《のぼ》せて、急に倒れかかりそうな激しい眩暈《めまい》を感じた。いつでも寺の前まで行きかけては、途中から引返した。
「父さんは薄情だ。子供の墓へ御参りもしないで……」
とお雪はよくそれを言った。
寄ると触ると、家では子供の話が出た。何時の間にか三吉の心も、家のものの話の方へ行った。
お雪は姪《めい》をつかまえて、夫の傍で種夫に乳を呑ませながら、
「繁ちゃんの亡くなった時は、まだ房ちゃんは何事《なんに》も知りませんでしたよ。でも、菊ちゃんの時には最早よく解っていましたッけ――あの時は皆な一緒に泣きましたもの」
「なアし」とお延も思出したように、「あれを思うと、房ちゃんが眼に見えるようだ」
「真実《ほんと》に、繁ちゃんの時は皆な夢中でしたよ――私が、『御覧なさいな、繁ちゃんはノノサンに成ったんじゃ有りませんか』と言えば、房ちゃんと菊ちゃんとも平気な顔して、『死んじゃったのよ、死んじゃった
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