い。それも交際《つきあい》で止《や》むを得ない時ばかり。一度はMさんの出て来た時、一度は――」
「二度と断ったところはよかった」と三吉が笑出した。
「いえ、正直な話サ」
 森彦は三吉を睨《にら》むようにして言ったが、終《しまい》には自分でも可笑しく成ったと見えて、反返《そりかえ》って笑った。
「姉さん」と森彦はお種の方を見て、「俺はこういう話を覚えているが――貴方達《あなたがた》が未だ東京に家を持ってる時分、お仙が二階から転がり落ちて、ヒドク頭を打った――それを貴方達は知らずに寝ていたということだが――」
「そんなことは、虚言《うそ》だ」とお種は腹立たしげに打消した。
「とにかく、今夜のような話は、為る方が可いネ」と三吉が正太に言った。
「稀《たま》にはこういう話も聞かんと不可《いかん》」正太も元気づいた。
 お種は弟を顧みて、「三吉、お前は私のことを……旦那《だんな》に逢って見る積りで、今度出て来たんだろうなんて、そう言ったそうなネ……」と他事《ひとごと》のように言った。
「まあそんな話が出たことも有りました」と三吉は微笑んで、「しかし、姉さん、子のことも考えんけりゃ成りませんからネ」
「ええ、ええ、そこどこじゃない」とお種は力を入れた。
 しばらく森彦は姉の横顔を眺めたが、やがて、
「この婆《ばば》サも、これで未だ色気が有る」
 と急所を衝《つ》くように言い放った。盛んな笑声が起った。一同の視線はお種の方へ集った。
「ウン有る――有る、有る」
 お種は口を尖《とが》らせて、激した調子で答えた。そして、ブルブル身体を震るわせた。
「風向が変って来ましたぜ」と三吉は戯れるように。
「今度は俺の方へお櫃《はち》が廻って来たそうな」とお種も笑い砕けた。
 お仙は手を振って笑った。
「しかし、串談はとにかく」とお種は浴衣の襟を掻合せて、「こう皆な集ることも、めったに無い。どうだ、豊世、お前も何か言うことがあらば――叔父さん達の前で言えや」
「母親さん、私は……別に言うことも有りません」
 と答えて、豊世は胸を押えながら、俯向《うつむ》いて了った。
 叔父達が夏羽織を引掛けて、起《た》ち上った頃は、対岸の灯も幽《かす》かに成った。混雑した心地《こころもち》で、一同は互に別れを告げた。
「いや、危いところ――」
 と森彦は正太の家を離れてから、三吉に言った。

        七

 昼間から花火の音がする。
 両国に近い三吉の家では、毎年川開の時の例で、親類の娘達を待受けた。豊世も、その日約束して置いて、誰よりも先にお雪のところへ遊びに来ていた。
「よくそれでも、叔母《おば》さんは子供の世話を成さいますねえ」
「私だって心から子供が好きじゃ有りません」
 叔母のような家庭的な人の口から、意外な答を聞いたという面持で、豊世は母衣蚊屋《ほろがや》の内にスヤスヤ眠っている乳呑児《ちのみご》の方を眺めた。そこへ二番目の新吉を背負《おぶ》った下婢《おんな》に連れられて、種夫が表の方から入って来た。
「種ちゃんも、新ちゃんも、オベベを着更えましょう。今に姉さん方がいらっしゃるよ」とお雪が言った。
「どれ、種ちゃんは叔母さんの方へいらっしゃい」と豊世は種夫に手招きして見せて、「豊世叔母さんが好くして進《あ》げましょうネ」
 幼い兄弟は揃《そろ》いの新しい浴衣《ゆかた》に着更えた。丁度、三吉は町まで用達《ようたし》に出掛けた時で、子供に金魚を買って戻って来た。
「正太さんは?」
 三吉は豊世の顔を見て尋ねた。お種を送りながら郷里《くに》の方へ行った正太も、最早引返して来ていた。
「宅は後から伺いますって」と豊世は微笑《ほほえ》んで、「どうして、宅がこんな日に静止《じっと》していられるもんですか」
「今、豊世さんから伺ったんですが」とお雪は夫に、「塩瀬の御店もイケなく成ったそうです」
「叔父さんは未だ御聞きに成りませんか」と豊世が言った。
「いよいよ駄目なんですか。好い店のようでしたがナ。そいつは正太さんも気の毒だ」
「真実《ほんと》に相場師ばかりは、明日のことがどう成るか解りませんネ。川向に居ます時分――あの頃のことを思うと、百円位のお金は平素《しょっちゅう》紙入の中に入っていたんですがねえ」と言って、豊世は萎《しお》れて、「そう言えば、森彦叔父さんにああ言って頂いたんで、宜う御座んしたよ。あのお金を借りて持っていようものなら、それこそ――今頃はどう成っているか解りません」
 三吉はお雪と顔を見合せた。
「私もツマリませんから、花火でも見て遊びますわ」と豊世は嘆息した。
 お雪は着物を着更えた。豊世は叔父から巻煙草を分けて貰って、眼を細くしながらそれを吸った。三吉も煙草を燻《ふか》していたが、やがて独《ひと》りで二階へ上って行った。


 黄色い花火
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