ったところで、一寸手紙を書くからと言いながら、机に対《むか》っていそがしそうに筆を走らせた。やがてその手紙を読返して見て、封をして、三吉の方へ向くと同時に手を鳴らした。
「これは急ぎの手紙ですから、直に出して下さい」
 と森彦は女中に言附けて置いて、それから弟の顔を眺めた。
「今日はすこし御願が有ってやって来ました」
 こういう三吉の意味を、森彦は直に読むような人であった。「まあ、待てよ」と起上《たちあが》って、戸棚《とだな》の中から新しい菓子の入った鑵《かん》を取出した。
「貴方の方で宗さんの分を立替えて置いて頂きたいもんですがナア」と三吉は切出した。
「ホ、お前の方でもそうか」と森彦は苦笑《にがわらい》して、「俺は又、お前の方で出来るだろうと思って、未だお俊の家へは送れないでいるところだ――困る時には一緒だナア」
 二人の話は宗蔵や実の家の噂に移って行った。
「真実《ほんと》に、宗蔵の奴は困り者だよ。人間だからああして生きていられるんだ。これがもし獣《けだもの》で御覧、あんな奴は疾《とっく》に食われて了《しま》ってるんだ」
「生きたくないと思ったって、生きるだけは生きなけりゃ成りません……宗さんのも苦しい生活ですネ」
「いえ、第一、彼奴《あいつ》の心得方が間違ってるサ。廃人なら廃人らしく神妙にして、皆なの言うことに従わんけりゃ成らん。どうかすると、彼奴は逆捩《さかねじ》を食わせる奴だ……だから世話の仕手も無いようなことに成って了う」
「一体、吾儕《われわれ》がこうして――殆《ほと》んど一生掛って――身内のものを助けているのはそれが果して好い事か悪い事か、私には解らなく成って来ました。貴方なぞはどう思いますネ」
 森彦は黙って弟の言うことを聞いていた。
「吾儕が兄弟の為に計ったことは、皆な初めに思ったこととは違って来ました。俊を学校へ入れたのは、彼女《あれ》に独立の出来る道を立ててやって、母親《おっか》さんを養わせる積りだったんでしょう。ところが、彼女は学校の教師なぞには向かない娘に育って了いました。姉さんだってもそうでしょう、弱い弱いで、可傷《いたわ》られるうちに、今では最早|真実《ほんと》に弱い人です。吾儕は長い間掛って、兄弟に倚凭《よりかか》ることを教えたようなものじゃ有りませんか……名倉の阿爺《おやじ》なぞに言わせると、吾儕が兄弟を助けるのは間違ってる。借金しても人を助けるなんて、そんな法は無いというんです」
「むむ、それも一理ある」と森彦は快活な声で笑出した。「確かに、阿爺《おとっ》さんのは強い心から来ている。それが阿爺さんをして名倉の家を興させた所以《ゆえん》でもある。確かに、それは一つの見方に相違ない。が、俺は俺で又別の見方をしている。こうして十年も旅舎に寝転《ねころ》んで、何事《なに》を為《し》てるんだか解らない人だと世間から思われても、別に俺は世間の人に迷惑を掛けた覚は無し、兄貴のところなぞから鐚《びた》一文でも貰って出たものでは無いが、それでもああして俊の家を助けている――俺は俺の為ることを為てる積りだ」
「これがネ、一月や二月なら何でもないんですが、長い年月の間となると、随分苦しい時が有りますネ」
「いや、どうして、ナカナカ苦しい時があるよ」
 兄の笑声に力を得て、三吉は他に工面する積りで起上った。何のかんのと言って見たところで、弱い人達が生きている以上は、どうしてもそれを助けない訳にいかなかった。「食わせてくれれば食うし、食わせてくれなければそれまで」と言ったような、宗蔵の横に成った病躯《からだ》には実に強い力が有った。
「そうかい。折角来たのに御気の毒でした」
 と森彦は弟を見送りに出て言った。


 お俊は三吉叔父の家をさして急いで来た。未来の夫としてお俊が択《えら》んだ人は、丁度彼女と同じような旧家に生れた壮年《わかもの》であった。ふとしたことから、彼女はその爽快《そうかい》で沈着な人となりを知るように成ったのである。この縁談が、結納を交換《とりかわ》すまでに運ぶには、彼女は一通りならぬ苦心を重ねた。随分長い間かかった。一旦《いったん》談《はなし》が絶えた。復た結ばれた。その間には、叔父達は早くキマリを付けさせようとばかりして、彼女の心を思わないようなことが多かった。「どうでも叔父さん達の宜しいように」こう余儀なく言い放った場合にも、心にはこの縁談の結ばれることを願ったのであった。
 三吉叔父の矛盾した行為《おこない》には、彼女を呆《あき》れさせることが有る。叔父は一度、ある演壇へあの体躯《からだ》を運んだ。その時はお延も一緒で、婦人席に居て傍聴した。叔父が「女も眼を開いて男を見なければ不可《いけない》」と言ったことは、未だ忘られずにある。その叔父が姪《めい》の眼を開くことはどうでも可いような仕
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