」と小金と老松の間に居る年増《としま》も噴飯《ふきだ》した。
「真実《ほんと》の叔父さんだよ」と正太は遮《さえぎ》ってみたが、しかし余儀なく笑った。
「叔父さん! 叔父さん!」
老松や小金はわざとらしく言った。皆な三吉の方へ向いて、一つずつ御辞儀した。そして、クスクス笑った。三吉も笑わずにいられなかった。
「私の方が、これで叔父さんよりは老《ふ》けてるとみえる」と正太が言った。
小金は肥った手を振って、「そんな嘘《うそ》を吐《つ》かなくっても宜《よ》う御座んすよ。真実《ほんと》に、橋本さんは担《かつ》ぐのがウマいよ」
「叔父さん、へえ、御酌」と老松は銚子を持ち添えて、戯れるように言った。
「私にも一つ頂かせて下さいな」と年増は寒そうにガタガタ震えた。
電燈は花のように皆なの顔に映った。長い夜の時は静かに移り過ぎた。硝子戸の外にある石垣の下の方では、音のしない川が流れて行くらしかった。老松は好い声で、浮々とさせるような小唄を歌った。正太の所望で、三人の妓は三味線の調子を合せて、古雅なメリヤス物を弾《ひ》いた。正太は、酒はあまり遣《や》らない方であるが面長な渋味のある顔をすこし染めて、しみじみとした酔心地に成った。
「貴方。何かお遣《や》り遊ばせな」と老松が三吉の傍に居て言った。
「私ですか」と三吉は笑って、「私は唯こうして拝見しているのが楽みなんです」
老松は冷やかに笑った。
「叔父さん、貴方の前ですが……ここに居る金ちゃんはネ、ずっと以前にある友達が私に紹介してくれた人なんです……私は未だ浪人していましたろう、あの時分この下の川を蒸汽で通る度に、是方《こっち》の方を睨んでは、早く兜町の人に成れたら、そう思い思いしましたよ……」
「ヨウヨウ」という声が酒を飲む妓達の間に起った。
「橋本さん」と老松は手を揉《も》んで、酒が身体《からだ》にシミルという容子《ようす》をした。「貴方――早く儲《もう》けて下さいよ」
次第に周囲《あたり》はヒッソリとして来た。正太は帰ることを忘れた人のようであった。叔父が煙草を燻《ふか》している前で、正太は長く小金の耳を借りた。
「私には踊れないんですもの」と小金は、終《しまい》に、他《ひと》に聞えるように言った。
酔に乗じた老松の端唄《はうた》が口唇《くちびる》を衝《つ》いて出た。紅白粉《べにおしろい》に浮身を窶《やつ》すものの早い凋落《ちょうらく》を傷《いた》むという風で、
「若い時は最早行って了《しま》った」と嘆息するように口ずさんだ。食卓の上には、妓の為に取寄せた皿もあった。年増は残った蒲鉾《かまぼこ》だのキントンだのを引寄せて、黙ってムシャムシャ食った。
やがて十二時近かった。三吉は酔った甥《おい》が風邪《かぜ》を引かないようにと女中によく頼んで置いて、独《ひと》りで家まで車を命じた。女中や三人の妓は玄関まで見送りに出た。三吉が車に乗った時は、未だ女達の笑声が絶えなかった。
「叔父さん! 叔父さん!」
すこし話したいことが有る。こういう森彦の葉書を受取って、三吉は兄の旅舎《やどや》を訪ねた。二階の部屋から見える青桐《あおぎり》の葉はすっかり落ちていた。
「来たか」
森彦の挨拶はそれほど簡単なものであった。
短く白髪を刈込んだ一人の客が、森彦と相対《さしむかい》に碁盤《ごばん》を置いて、煙管《きせる》を咬《くわ》えていた。この人は森彦の親友で、実《みのる》や直樹《なおき》の父親なぞと事業を共にしたことも有る。
「三吉。今一勝負済ますから、待てや。黒を渡すか、白を受取るかという天下分目のところだ」
「失礼します」
こう兄と客とは三吉に言って、復た碁盤を眺《なが》めた。両方で打つ碁石は、二人の長い交際と、近づきつつある老年とを思わせるように、ポツリポツリと間を置いては沈んだ音がした。
一石終った。客は帰って行った。森彦は弟の方へ肥った体躯《からだ》を向けた。
「葉書の用は他《ほか》でも無いがネ、どうも近頃正太のやつが遊び出したそうだテ。碌《ろく》に儲けもしないうちから、最早あの野郎《やろう》遊びなぞを始めてケツカル」
こう森彦が言出したので、思わず三吉の方は微笑《ほほえ》んだ。
「実は、二三日前に豊世がやって来てネ、『困ったものだ』と言うから俺がよく聞いてみた。なんでも小金という芸者が有って、その女に正太が熱く成ってるそうだ。豊世の言うことも無理が無いテ。彼女《あれ》が塩瀬の大将に逢った時に、『橋本さんも少し気を付けて貰わないと――』という心配らしい話が有ったトサ。折角あそこまで漕《こ》ぎ着けたものだ。今信用を落しちゃツマラン。『叔父さんからでも注意して貰いたい』こう彼女《あれ》が言うサ」
「その女なら、私も此頃《こないだ》正太さんと一緒に一度|逢《あ》いました……あれを
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