てみて下さい」
 こう言ってお雪が持運んで来た。三吉は、その若葉の香を嗅《か》ぐようなやつを、甥にも勧め、自分でも啜《すす》って、仕事の上の話を始めた。彼の話はある露西亜《ロシア》人のことに移って行った。その人のことを書いた本の中に、細君が酢乳《すぢち》というものを製《こしら》えて、著作で労《つか》れた夫に飲ませたというところが有った。それを言出した。
「ああいう強壮な体格を具《そな》えた異人ですらもそうかナア、と思いましたよ。なにしろ、僕なぞは随分無理な道を通って来ましたからネ。仕事が済んで、いよいよそこへ筆を投出した時は――その心地《こころもち》は、君、何とも言えませんでした。部屋中ゴロゴロ転《ころ》がって歩きたいような気がしました」
 正太は笑わずにいられなかった。
 三吉は言葉を継いで、「自分の行けるところまで行ってみよう――それより外に僕は何事《なんに》も考えていなかったんですネ。一方へ向いては艱難《かんなん》とも戦わねばならずサ。それに子供は多いと来てましょう。ホラ、あのお繁の亡くなった時には、山から書籍《ほん》を詰めて持って来た茶箱を削《けず》り直して貰って、それを子供の棺にして、大屋さんと二人で寺まで持って行きました。そういう勢でしたサ。お繁が死んでくれて、反《かえ》って難有《ありがた》かったなんて、串談《じょうだん》半分にも僕はそんなことをお雪に話しましたよ……ところが君、今度は家のやつが鳥目などに成るサ……」
「そうそう」と正太も思出したように、「あの時はエラかった。私も新宿まで鶏肉《とり》を買いに行ったことが有りました」
「そんな思をして骨を折って、漸くまあ何か一つ為《し》た、と思ったらどうでしょう。復たお菊が亡くなった。僕は君、悲しいなんていうところを通越《とおりこ》して、呆気《あっけ》に取られて了《しま》いました――まるで暴風にでも、自分の子供を浚《さら》って持って行かれたような――」
 思わず三吉はこんなことを言出した。この郊外へ引移ってから、彼の家では初めての男の児が生れていた。種夫《たねお》と言った。その乳呑児《ちのみご》を年若な下婢《おんな》に渡して置いて、やがてお雪も二人の話を聞きに来た。
「どんなにか叔母さんも御力落しでしょう」と正太はお雪の方へ向いて、慰め顔に、「郷里《くに》の母からも、その事を手紙に書いて寄《よこ》しました」
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