よ」正太が入口の格子戸を開けて呼んだ。それを聞きつけて、お延は周章《あわ》てて出た。丁度森彦も来合せていて、そこへ顔を顕《あら》わした。
「到頭房もいけなかったかい」
「ええ、今朝……払暁《あけがた》に息を引取ったそうです……皆な、今、そこへ来ます」
 森彦と正太とは、こう言合って、互に顔を見合せた。
 間もなく三台の車が停った。お雪は乳呑児《ちのみご》を抱いて二週間目で自分の家へ帰って来た。下婢《おんな》も荷物と一緒に車を降りた。つづいて、三吉が一番|年長《うえ》の兄の娘、お俊も、降りた。
 三吉の車は一番後に成った。日の映《あた》った往来には、お房の遊友達が立留って、ささやき合ったり、眺《なが》めたりしていた。黒い幌《ほろ》を掛けて静かに引いて来た車は、その娘達の見ている前で停った。
「叔父さん、手伝いましょうか」
 と正太が車の側へ寄った。
 お房は茶色の肩掛に包まれたまま、父の手に抱かれて来た。グタリとした子供の死体を、三吉は車から抱下《だきおろ》して、門の内へ運んだ。
 仏壇のある中の部屋の隅には、人々が集って、お房の為に床を用意した。そこへ冷くなった子供を寝かした。顔は白い布で掩《おお》うた。
「ホウ、こうして見ると、思いの外《ほか》大きなものだ……どうだネ、膝《ひざ》は曲げて遣《や》らなくても好かろうか」と森彦が注意した。
「子供のことですから、このままで棺に納まりましょう」と正太を眺めた。
「でも、すこし曲げて置いた方が好いかも知れません」
 こう三吉は言ってみて、娘の膝を立てるようにさせた。氷のようなお房の足は最早自由に成らなかった。それを無理に折曲げた。お俊やお延は、水だの花だのを枕頭《まくらもと》へ運んだ。丁度、お雪が二番目の妹のお愛も、学校の寄宿舎から訪ねて来た。この娘は姉の傍へ寄って、一緒に成って泣いた。
 午後には、裏の女教師が勝手口から上って、子供の死顔を見に来た。
「真実《ほんと》に、何とも申上げようが御座いません……小泉さんは、まだそれでも男だから宜《よ》う御座んすが、こちらの叔母さんが可哀そうです」と女教師は言った。
 お房が病んだ熱は、腸から来たもので無くて、実際は脳膜炎の為であった。それをお雪は女教師に話し聞かせた。白痴児《はくちじ》として生き残るよりは、あるいはこの方が勝《まし》かも知れない、と人々は言合った。
 黄色く日中
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