「一寸《ちょっと》歩いて来るなんて、大屋さんの裏の方へ出て行きました」
「じゃ、私も、お裏の方から廻って参りましょう」
正太はその足で、植木屋の庭の方へ叔父を見つけに行くことにした。
この地内には、叔父が借りて住むと同じ型の平屋《ひらや》がまだ外《ほか》にも二軒あって、その板屋根が庭の樹木を隔てて、高い草葺《くさぶき》の母屋《もや》と相対していた。植木屋の人達は新茶を造るに忙《せわ》しい時であった。縁日《えんにち》向《むけ》の花を仕立てる畠《はたけ》の尽きたところまで行くと、そこに木戸がある。その木戸の外に、茶畠、野菜畠などが続いている。畠の間の小径《こみち》のところで正太は叔父の三吉と一緒に成った。
新開地らしい光景《ありさま》は二人の眼前《めのまえ》に展《ひら》けていた。ところどころの樹木の間には、新しい家屋が光って見える。青々とした煙も立ち登りつつある。
三吉は眺め入って、
「どうです、正太さん、一年ばかりの間に、随分この辺は変りましたろう」
と弟か友達にでも話すような調子で言って、茶畠の横手に養鶏所の出来たことなどまで正太に話し聞せた。
何となく正太は元気が無かった。彼の上京は、叔父が長い仕事を持って山を下りたよりも早かった。一頃は本所辺に小さな家を借りて、細君の豊世と一緒に仮の世帯《しょたい》を持ったが、間もなくそこも畳んで了《しま》い、細君は郷里《くに》へ帰し、それから単独《ひとり》に成って事業《しごと》の手蔓《てづる》を探した。彼の気質は普通の平坦《たいら》な道を歩かせなかった。乏しい旅費を懐《ふところ》にしながら、彼は遠く北海道から樺太《からふと》まで渡り、空《むな》しくコルサコフを引揚げて来て、青森の旅舎《やどや》で酷《ひど》く煩《わずら》ったこともあった。もとより資本あっての商法では無い。磐城炭《いわきたん》の売込を計劃したことも有ったし、南清《なんしん》地方へ出掛けようとして、会話の稽古までしてみたことも有った。未だ彼はこれという事業《しごと》に取付かなかった。唯《ただ》、焦心《あせ》った。
そればかりでは無い。叔父という叔父は、いずれも東京へ集って来ている。長いこと家に居なかった実叔父は壮健《たっしゃ》で帰って来ている。森彦叔父は山林事件の始末をつけて、更に別方面へ動こうとしている。三吉叔父も、漸《ようや》く山から持って来
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