とも一緒に成れた」と三吉が姉に言った。
「そうも思いましたがネ、あんまり多勢で押掛けても気の毒だと思って――」
「叔父《おじ》さん、昨晩は失礼いたしました」
 と豊世は「叔父さん」を珍しそうに言う。
「私達は今、面白い二階に居ますよ」とお種は女持の煙草入《たばこいれ》を取出しながら、「お前さんなぞが上って見ようものなら、驚く位だ。一つ部屋に、応接間もあれば、ランプ部屋もあれば、お勝手もある……蚊が出て困ると言って、実の家から蚊帳を借りたは好かったが、釣ってみると部屋一ぱいサ。環《かん》を釘《くぎ》へ掛けても、まだダクンダクンしてる……笑ったにも何にも……」
「そういう思いもしてみるが好う御座んす――」と三吉が言った。
 お種と豊世とは顔を見合せた。やがてお種は一服やって、「私もネ、長いこと伊東の方に居ました。森彦の親切で、すっかり保養も出来たで……是頃《こないだ》お雪さんから手紙を下すったように、もしお前さんの許《とこ》で私を呼んでくれるなら、行って子供の世話でも何でもしてやるわい」
「まあ、暫時《しばらく》私の方へ来ていて御覧なさい――姉さんには田舎《いなか》の方が静かで好いかも知れません――そのかわり、何にも御馳走は有りませんぜ」
「御馳走なぞが要《い》らずか。この節では、お前さん、一週間に一度ずつ森彦の旅舎《やどや》へ行って、新聞を読んで、お風呂に入れて貰って、夕飯を振舞って貰っては帰って来る。それより外に何にも楽みが無い――私は今、そういう日を送ってる」
 豊世は姑から細い銀の煙管《きせる》を借りて、前曲《まえこご》みに煙草を燻《ふか》してみながら、話を聞いている。
「伊東に居た時分も、お前さん、他《よそ》の奥様なぞが橋本さんは御羨《おうらやま》しい御身分だ、こうして毎日遊んでいらしっても、御国からは御金を送って来るなんて――他《ひと》は何事《なんに》も知りませんからネ……」
 こういうお種の調子には、存外|沈着《おちつ》いたところが有るので、三吉も心配した程では無いと思って来た。弟は話を進めようとしたが、それを言う前に、自分の方のことを持出した。学校の暑中休暇を機会として、名倉の家まで行く積りだと話した。
「先頃お雪さんが出ていらしった節は、実の家の方で御一緒に成りました」とお種が言った。
「私はネ、叔父さん」と豊世は引取って、
「このお宿でお雪叔母さんにお目に懸りました――森彦叔父さんと御一緒に伺って」
「これはお前より叔母さんの方に先に逢ってますよ」とお種は嫁の方を弟に指して見せた。
 豊世はこの始めて逢った「叔父さん」という人にジロジロ見られるような気がして、姑の傍に小さく成っていた。


 夏の日が暮れて、燈火《あかり》は三人の顔に映った。三吉は姉の容子《ようす》を眺めながら、こう切出した。
「達雄さんも、名古屋の方だそうですネ……」
「そうだそうな」
 と答えるお種の顔には憂愁《うれい》の色が有った。それを彼女は苦笑《にがわらい》で紛《まぎら》わそうともしていた。
「何処《どこ》も彼処《かしこ》も後家さんばかりに成っちゃった」
「三吉――俺は未だ後家の積りじゃ無いぞい」と姉は口を尖《とが》らした。
「積りでなくたって、実際そうじゃ有りませんか」と弟は戯れるように。
「馬鹿こけ――」
 お種は両手を膝《ひざ》の上に置いて、弟の方を睨《にら》む真似《まね》した。三吉も嘆息して、
「姉さん、旦那のことは最早思い切るが宜《よ》う御座んすよ。だって、あんまりヤリカタが洒落《しゃれ》過ぎてるじゃ有りませんか。私も森彦さんから聞きましたがネ、そんな人に尽したところで、無駄です――後家さんが可い、後家さんが可い」
「これ、お前さんのように……そう、後家、後家と言って貰うまいぞや」
「馬鹿々々しい……亭主に好さそうな人が有ったら、私がまた姉さんに世話して進《あ》げる」
 不幸な姉を憐《あわれ》む心から、三吉はこんな串談《じょうだん》を言出した。お種はもうブルブル身《からだ》を震わせた。
「三吉、見よや、豊世が呆《あき》れたような顔をしてることを――お前さんがそんな悪《にく》い口を利《き》くもんだからサ――国に居る頃から、お前さん、お仙なぞが三吉叔父さん、三吉叔父さんと言って、よく噂《うわさ》をするもんだから、どんなにか好い叔父さんだろうと思って豊世も逢いに来たところだ……」と言って、お種は嫁の方を見て、「ナア、豊世――こんな叔父さんなら要《い》らんわい」
 豊世は笑わずにいられなかった。
「しかし、串談はとにかく」と三吉は姉の方を見て、「後家さんというものはそんなにイケナイものでしょうか」
「後家に成って、何の好い事があらず」
 と姉は力を入れた。
「そりゃ、若くて後家さんに成るほど困ることは無いかも知れません。しかし、年をとってからの後家さんはどうです。重荷を卸して、安心して世を送られるようなものじゃ有りますまいかネ……人にもよるかも知れませんが、こう私は、姉さん位の年頃に成って、子のことを考えて行かれる後家さんが一番好かろうと思うんですが……」
「まあ、女に成ってみよや」
 と言って、姉は取合わなかった。
 その晩、お種は弟の宿に泊めて貰って、久し振で一緒に話す積りであった。やがて町の響も沈まって聞える頃、お種は嫁に向って、
「豊世、お前はもう帰らッせ」
「今夜は私も母親さんの側に泊めて頂きとう御座んすわ」と豊世が言った。「何だか御話が面白そうですから……」
 姑の許を得て、豊世は自分の宿まで一旦断りに行って、それから復た引返して来た。三人同じ蚊帳の内に横に成ってからも、姉弟は話し続けた。お種は枕許《まくらもと》へ煙草盆を引寄せて、一服やったが、自分で抑《おさ》えることの出来ないほど興奮して来た。伊東に居た頃、よく彼女の瞑《つぶ》った眼には一つの点が顕《あら》われて、それがグルグル廻るうちに、次第に早くなったり、大きく成ったりして見えた。お種は寝ながらそれを手真似でやって見せた。終《しまい》には自分の身《からだ》までその中へ巻込まれて行くような、可恐《おそろ》しい焦々《いらいら》した震え声と力とを出して形容した。
「ア――姉さんは未だ真実《ほんと》に癒《なお》っていないんだナ」
 と三吉は腹《おなか》の中で思った。それを側で聞くと、豊世も眠られなかった。


 再会を約して置て、翌朝《よくあさ》お種は三吉に別れた。豊世も姑と一緒にこの旅舎を出た。
「――三吉の家まで行って置けば、正太の許《ところ》から迎をよこしてくれるたって、造作なからず」
「ええ、三吉叔父さんの御宅までいらっしゃれば、もう郷里《くに》へ帰ったも同じようなものですわ」
 こんな言葉を換《かわ》しながら、姑と嫁とは宿の方へ帰って行った。
 例の二階で、復た復たお種が旅仕度を始める頃は、やがて八月の末であった。森彦の旅舎だの、直樹の家だの、方々へ暇乞《いとまご》いにも出掛けなければ成らぬ、と思うと、心はあわただしかった。
 ジメジメと蒸暑い午後、一番後廻しにした実の留守宅に暇乞に寄る積りで、お種は宿を出た。橋本へ嫁いてから以来《このかた》――指を折って数える程しか彼女は自分の生家《さと》へも帰っていない。その中で、小泉の家が東京へ引越したばかりの頃、一度彼女は母と一緒に成ったことや、その時も夫がある女に関係して、その為に長年薬方を勤めた大番頭の一人が怒って暇を取ったことや、その時こそは夫婦別をしようかとまで彼女も悲しく思ったことや、それからその時ぎり母にも逢えなかったことなどを胸に浮べて行った。
 小泉の家も段々小さく成った。ある狭い路地を入って、溝板《どぶいた》の上を踏んで行くと、そこには種々な生活を営む人達が一種の陰気な世界を形造っている。お種は薄暗い格子戸の前に立った。
「誰方《どなた》?」
 こう若々しい声で言って、内から顔を出したのは、お俊であった。
「母親さん――橋本の伯母《おば》さんが被入《いら》しってよ」
 と復た娘は奥の方へ声を掛けた。橋本の伯母と聞いて、お倉は古びた簾《すだれ》の影から這出《はいだ》した。毎年のようにお倉は脚気《かっけ》を煩《わずら》うので、その夏も臥《ね》たり起きたりして、二人の娘を相手に侘《わび》しい女暮しをしているのである。
 過去った日を思わせるような、こういう住居《すまい》に不似合なほど大きい長火鉢《ながひばち》の側で、女同志は話した。
「三吉が来いと言ってくれるで、私も暫時《しばらく》彼《あれ》の方へ行って厄介に成るわいなし」とお種が言った。
「そりゃ、まあ結構です――三吉さんは私共へも一寸寄って下さいました」とお倉は寂しそうに笑いながら、「私がこんな幽霊のような頭髪《あたま》をしていたもんですから、三吉さんも驚いて逃げて行って了いました……」
「私でも、ドモナラン」
 この「ドモナラン」は茶盆をそこへ取出したお俊を笑わせた。
「俊」とお倉は娘の方を見て、「貰ったお茶が有ったろう」
「母親さん、あのお茶は最早《もう》駄目よ」とお俊はすこし顔を紅くした。
「お倉さん、番茶で沢山です。そんなに関《かま》って下さると、生家《さと》へ来たような気がしない……」とお種は快活らしく笑って、
「そう言えば、三吉も可笑《おか》しなことを言う奴だテ。私が豊世を連れて彼《あれ》の宿まで逢いに行きましたら、何をまた彼が言出すかと思うと、何処《どこ》も彼処《かしこ》も後家さんばかりに成っちゃった――なんて。私は怒ってやった」
「真実《ほんと》に、皆な後家さんのようなものですよ――でも、姉さんなぞは未だ好う御座んすサ。私を御覧なさいな。私くらい運の悪い者は無い――私は小泉へお嫁に来ましてから、旦那と一緒に暮したなんてことは、貴方の三分一も有りゃしません――留守、留守で、そんなことばかりしてるうちに一生済んで了いました」
 染めずにいるお倉の髪は最早|老婦《としより》のように白い。


 不幸《ふしあわせ》だ、不幸だと言いながら気の長いお倉の様子は、余計にお種をセカセカさせた。
 お種は自分の生家《さと》を探すような眼付をして、四辺《あたり》を眺め廻した。実は留守、お杉は亡くなる、宗蔵は他《よそ》へ預けられている、よく出入した稲垣《いながき》夫婦なぞも遠く成った。僅《わず》かに兄弟の力を頼りに細々と煙を立てる有様である。二間ばかりある住居で、日も碌《ろく》に映《あた》らなかった。それに、幾度か引越した揚句《あげく》のことで、ずっと昔の生家を思出させるような物は殆んどお種の眼に映らない。唯、奥の方の壁に、父の遺筆が紙表具の軸に成って掛っている。そこには、未だそれでも忠寛の精神が残っていて、廃《すた》れ行く小泉の家に対するかのようである……
 こういう衰えた空気の中でも、お俊はズンズン成長した。高等女学校程度を卒《お》える程の年頃に成った。
「御蔭様で、俊も、学校の方の成績は始終優等だもんですから、校長先生も大層肩を入れて下さいましてネ」と言って、お倉は娘の方を見て、「お前の描いた画を持って来て、伯母さんにお目にお掛けな」
 お俊は幾枚かの模写をそこへ取出して来て、見せた。この娘は自分で模様を描いた帯を〆《しめ》ていた。
「漸《ようや》くこういう色彩《いろ》の入ったものを許されました」とお倉は娘の画をお種に指して見せて、「三吉さんが、画や歌のお稽古《けいこ》は止《や》めて学校だけにさしたら可かろう――なんて言うんですけれど、折角今までやらしたものですから、せめて画の先生だけへは通わせたいと思いますんですよ。俊も好きですから……」
「そうですとも。ここで止めさせるのは惜しいものだ」とお種が言った。
「私もネ、何を倹約しても斯娘《これ》には掛けたいと思いまして……どうして、貴方、この節では母親《おっか》さんの言うことなぞを聞きやしません。何ぞと言うと私の方がやりこめられる位です」
「教育が違いますからネ」
「ええええ、私共の若い時なぞは、今のように学校が有るじゃなし……」
「鶴は?」とお種はお俊の妹のことを聞いてみた。
「御友達
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