すこし気を沈着《おちつ》けて下さいよ……」こう豊世は慰め顔に言った。
 お種は笑って、「なにも、そんなに心配することは無い。母親さんは、お前、皆さんと遊ぶところだぞや。そんなことを言う手間で、褒《ほ》めてくれよ」
 豊世は何とも言ってみようが無かった。過度の心痛から、姑がこんな精神《こころ》の調子に成るのでは有るまいか、と考えた時は哀《かな》しかった。
 夕方まで、お種は庭に出て、浴客を相手に物を言い続けた。その晩は、親子とも碌《ろく》に眠られなかった。この反動と疲労とが来て、姑が沈み考えるように成るまでは、豊世も安心しなかった。


 何時まで豊世も姑と一緒にいられる場合では無かった。豊世は豊世で早く東京へ出て独立の出来ることを考えなければ成らないと思っていた。旧い静かな家に住み慣れたお種には、この親子別れ別れに成るということが心細くて、嫁を手離して遣《や》りたくなかった。
「豊世――お前は私のことばかり心配なように言うが、自分のことも少許《ちと》考えてみるが可い――そうまたお前のように周章《あわ》てることは無いぞや」
 とお種は嫁に向って言ってみた。
 お種の考えでは、夫の行方に就《つ》いて、忰《せがれ》夫婦の言うことに何処か判然《はっきり》しないところがある。どうも隠しているらしく思われるところが有る。もし嫁が聞知っているものとすれば、何とか言い賺《すか》して、夫の行方を突留めたい。こう思った。お種は、もうすこしもうすこしと、伊東に嫁を引留めて置きたくてならなかった。
「では、母親さん、こういうことにしましょう。私にもどうして可いか解りませんからネ、森彦叔父さんに一つ指図《さしず》して頂きましょう……森彦叔父さんが居た方が可いと仰ったら、居ましょう」
 豊世はこんな風に言出した。
 森彦からは返事が来た。それには豊世の願った通りのことが書いてあった。豊世は早く上京して前途の方針を定めよとあるし、姉は今しばらく伊東で静養するように、そのうちには自分も訪ねて行くとしてあった。
 二月の末に成って、漸く豊世は姑の側を離れて行くことに決めた。
「もうすこし、お前に居て貰いたいよ。私独りに成って御覧、どんなに心細いか知れない」とお種は萎《しお》れた。
「ええ、私もこうして居たいんですけれど……居られるものなら、一日でも余計……」
 こう言いながら、嫁はサッサと着物を着更えた。旅の手荷物もそこそこに取纏《とりまと》めた。
 船までは、林の隠居や細君が一緒に見送りたいと言出した。お種はこの人達に励まされながら豊世と連立って、宿を出た。まだ朝のことで、湯の流れる川について、古風な町々を通過ぎると、やがて国府津通いの汽船の形が眼に見えるところへ出て来た。船頭は艀《はしけ》の用意をしていた。
 最早節句の栄螺《さざえ》を積んだ船が下田の方から通って来る時節である。遠い山国とはまるで気候が違っていた。お種は旅で伊豆の春に逢うかと思うと、夫に別れてから以来の事を今更のように考えてみて、海岸の砂の上へ倒れかかりそうな眩暈《めまい》心地《ごこち》に成った。
「母親さん、母親さん、すっかり御病気を癒《なお》して来て下さいよ。私は東京の方で御待ち申しますよ……真実《ほんと》に、母親さんの側に居て進《あ》げたいんですけれど」
 と言って、嫁は艀の方へ急いだ。
 お種は林の隠居、細君と共に、豊世を乗せた汽船の方を望みながら立っていた。別離《わかれ》を告げて出て行くような汽笛の音は港の空に高く響き渡った。お種の眼前《めのまえ》には、青い、明るい海だけ残った。


 宿へ戻って、復《ま》たお種は自分一人を部屋の内に見出《みいだ》した。竹翁の昔より続いた橋本の家が一夜のうちに基礎《どだい》からして動揺《ぐらつ》いて来たことや、子がそれを壊《こわ》さずに親が壊そうとしたことや、何時の間にか自分までこの世に最も頼りのすくない女の仲間入をしかけていることなどは、全くお種の思いもよらないことばかりで有った。
 豊世は行って了った。午後に、お種は折れ曲った階段を降りて、湯槽《ゆぶね》の中へ疲れた身《からだ》を投入れた。溢《あふ》れ流れる温泉、朦朧《もうろう》とした湯気、玻璃窓《ガラスまど》から射し入る光――周囲《あたり》は静かなもので、他に一人の浴客も居なかった。お種は槽《おけ》の縁へ頸窩《ぼんのくぼ》のところを押付けて、萎《しな》びた乳房を温めながら、一時《いっとき》死んだように成っていた。
 窓の外では、温暖《あたたか》い雨の降る音がして来た。その音は遠い往時《むかし》へお種の心を連れて行った。お種がまだ若くて、自分の生家《さと》の方に居た娘の頃――丁度橋本から縁談のあった当時――あの頃は、父が居た、母が居た、老祖母《おばあさん》が居た。この小泉へ嫁《かたづ》いて来た老祖母の生家の方でも、お種を欲しいということで、折角好ましく思った橋本の縁談も破れるばかりに成ったことが有った。それを破ろうとした人が老祖母だ。母は老祖母への義理を思って、すでに橋本の方を断りかけた。もしあの時《とき》……お種が自害して果てる程の決心を起さなかったら、あるいは達雄と夫婦に成れなかったかも知れない……
 思いあまって我と我身を傷《きずつ》けようとした娘らしさ、母に見つかって救われた当時の光景《さま》、それからそれへとお種の胸に浮んで来た。
 これ程の思をして橋本へ嫁いて来たお種である。その志は、正太を腹《おなか》に持ち、お仙を腹に持った後までも、変らない積であった。人には言えない彼女の長い病気――実はそれも夫の放蕩《ほうとう》の結果であった。彼女は身を食《くわ》れる程の苦痛にも耐えた――夫を愛した――
 ここまで思い続けると、お種は頭脳《あたま》の内部《なか》が錯乱して来て、終《しまい》には何にも考えることが出来なかった。
「ああ、こんなことを思うだけ、私は足りないんだ……私が側に居ないではどんなにか旦那も不自由を成さるだろう……」
 とお種は、濡《ぬ》れた身《からだ》を拭《ふ》く時に、思い直した。
 湯から上って、着物を着ようとすると、そこに大きな姿見がある。思わずお種はその前に立った。湯気で曇った玻璃《ガラス》の面を拭いてみると、狂死した父そのままの蒼《あお》ざめた姿が映っていた。


「真実《ほんと》に、橋本さんは御羨《おうらやま》しい御身分ですねえ――御国の方からは御金を取寄せて、こうしていくらでも遊んでいらっしゃられるなんて」
 すこし長く居る女の湯治客の中には、お種に向って、こんなことを言う人も有った。お種は返事の仕ようが無かった。
「ええ……私のようにノンキな者は有りませんよ」
 お種は自分の部屋へ入っては声を呑《の》んだ。
 林の家族はやがて東京の方へ引揚げて行った。お種の話相手に成って慰めたり励ましたりした隠居も最早居なかった。この温泉場を発《た》って行く人達を見送るにつけても、お種はせめて東京まで出て、嫁と一緒に成りたいと願ったが、三月に入っても未だ許されなかった。沈着《おちつ》け、沈着けという意味の手紙ばかり諸方から受取った。
 国の方からは送金も絶え勝に成った。そのかわり東京の森彦から見舞として金を送って来た。この弟の勧めで、お種は皆なの意見に従って、更に許しの出るまで伊東に留まることにした。山に蕨《わらび》の出る頃には、宿の浴客は連立って遠くまで採りに出掛けた。お種もよく散歩に行って、伊豆の日あたりを眺めながら、夫のことを思いやった。採って来た蕨は丁寧に乾し集めた。支那の方へ行ったとかいう夫の口へ、せめて乾した蕨が一本でも入るような伝《つて》は有るまいか、とも思ってみた。
 六月の初に成った。漸《ようや》く待|侘《わ》びた日が来た。お種は独りでそこそこに上京の仕度をした。その時に成っても、達雄からは何等の消息が無い。しかし、お種は夫を忘れることが出来なかった。
 旅で馴染《なじみ》を重ねた人々にも別れを告げて、伊豆の海岸を離れて行くお種は、来た時と帰る時と比べると、全く別の人のようであった。海から見た陸《おか》の連続《つづき》、荷積の為に寄って行く港々――すべて一年前の船旅の光景《さま》を逆に巻返すかのようで、達雄に別れた時の悲しい心地《こころもち》が浮んで来た。
 汽船は国府津へ着いた。男女の乗客はいずれも陸《おか》へと急いだ。高い波がやって来て艀《はしけ》を持揚げたかと思ううちに、やがてお種は波打際《なみうちぎわ》に近い方へ持って行かれた。間もなく彼女は達雄が悄然《しょんぼり》と見送ってくれたその同じ場処に立った。
 六月の光は相模灘に満ちていた。お種は岸を立去るに忍びないような気がした。夫と一緒に歩いた熱い砂を踏んで行くと、松並木がある、道がある、小高い崖《がけ》を上ったところが例の一晩泊った旅舎《やどや》だ。
「オヤ、只今《ただいま》御帰りで御座いますか。大層|御緩《ごゆっく》りで御座いますネ」
 何事も知らない旅舎《やどや》の亭主は、お種が昼飯《ひる》の仕度に寄って種々《いろいろ》なことを尋ねた時に、手を揉《も》んだ。
 豊世や、森彦や、それから留守居している実の家族にも逢われることを楽みにして、まだ明るいうちにお種は東京へ入った。

        九

 豊世が借りている二階はゴチャゴチャとした町中にあった。そこは狭い乾燥した往来を隔てて、唯規則正しく、趣味もなく造られた同じ型の商家が対《むか》い合っているような場所である。豊世がこういう町中を択《えら》んだのは、通学の便利の為で、彼女は上京する間もなく簿記を修めることにしていた。そこへお種が尋ねて行った。
 姑《しゅうとめ》と嫁とは窮屈な二階で一緒に成った。階下《した》に住む夫婦者は小売の店を出して、苦しい、忙しい生活を営みつつある。しかし心易い人達ではあった。
「何にしても、これはエライところだ」とお種はすこし落付いた後で言った。「でも、豊世――伊東で寂しい思をしながら御馳走《ごちそう》を食べるよりかも、ここでお前と一緒にパンでも咬《かじ》る方が、どんなにか私は安気なよ」
 伊豆の方で豊世が見た時よりも、余程姑の容子《ようす》に焦々《いらいら》したところが少なく成ったように思われた。で、豊世もすこし安心して、自分の生家《さと》――寺島の母親が丁度上京中であることを言出した。この母は療治に出て来て、病院の方に居るが、最早《もう》間もなく退院するであろうと話し聞かせた。
「あれ、そうかや」とお種は切ないという眼付をした。「私は寺島の母親《おっか》さんには御目に掛れない」
「関《かま》わないようなものですけれど……」と豊世は言ってみた。
「お前は関わないと思っても、私が困る……第一、お前をこんな処に置いて、寺島の母親さんに御目に掛れた義理じゃない……」
 その時、お種は自分の留守へ電報を打って寄《よこ》したという人を想《おも》ってみた。無理にも豊世を引戻そうとした人を想ってみた。唯お種は面目ないばかりでは無かった。
「では、私はこうするで……暫時《しばらく》森彦の方へ頼んで置いて貰うで……それから復《ま》たお前と一緒に成らず。どうしても今度はお目に掛れない……そうだ、そうせまいか……お前もまた悪く思ってくれるなや」
 と姑に言われて、豊世は反《かえ》って気の毒な思をした。彼女は何もかも打開《ぶちま》けて、話す気に成った。
「母親さん、私も困りましたよ。寺島の母が着いた時は、真実《ほんとう》に無いと言っても無い……葉書一枚買うことも出来ませんでしたよ、母が、国へ安着の報知《しらせ》を出しとくれ、ちょいとコマカイのが無いからお前の方で立替えといとくれッて、言いましても、それを買いに行くことが出来ません。私がマゴマゴしていますと、お前は葉書を買う金銭《おあし》も無いのかッて、母は泣いて了《しま》いました……でも、その時百円出してくれました……それで、まあ漸《やっ》と息を吐《つ》いたんですよ」
「それは困ったろうネ、私の方へも為替《かわせ》が来なく成った。ああ御金の送れないところを見ると、国でも
前へ 次へ
全30ページ中24ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング