ぜん》を運んで来た。
 お種は嘉助の前にも膳を据えて、
「今日は旦那も骨休めだと仰《おっしゃ》るし、三吉も来ているし、何物《なんに》も無いが河魚で一杯出すで、お前もそこで御相伴《ごしょうばん》しよや」
 こう言われて、嘉助は癖のように禿頭《はげあたま》を押えた。
「さ、御酌致しましょう」
 と嘉助は遠慮深い膝を進めた。この人は前垂を〆《し》めてはいるが、武術の心得も有るらしい体格で、大きな律義《りちぎ》そうな手を出して、旦那や客に酒を勧めた。
 何時《いつ》の間にか話も若旦那のことに落ちて行った。お種は台所の方にも気を配りながら、時々部屋を出て行くかと思うと、復《ま》た入って来て、皆なと一緒に息子のことを心配した。
「いッそのこと、その娘を貰ってやったら可いじゃ有りませんか」三吉は書生流儀に言出した。
「そんな馬鹿なことが出来るもんですかね」とお種は嘲《あざけ》るように言って、「お前さんは何事《なんに》も知らないからそんなことを言うけれど」
「それに、お前さま」と嘉助は引取って、紅《あか》く充血した眼で客の方を見て、「娘の親というものが気に入りません……これは、まあ、私の邪推かも知《しれ》ませんが、どうも親が背後《うしろ》に居て、娘の指図《さしず》をするらしい……」
 お種は何か思出したように、物に襲われるような眼付をしたが、それを口に出そうとはしなかった。
「よしんば、そうでないと致したところで」と嘉助は言葉を継いで、「家の格が違います。どうして、お前さま、あんな家から橋本へ貰えるものかなし……」


 暮れかかって来た。屋根を越して来る山の影が、庭にもあり、一段高く斜に見える蔵の白壁にもあり、更に高い石垣の上に咲く夕顔|南瓜《かぼちゃ》などの棚《たな》にもあった。この家の先代が砲術の指南をした頃に用いた場所は、まだ耕地として残っていたが、その辺から小山の頂へかけて、夕日が映《あた》っていた。
 百姓の隠居も鍬《くわ》を肩に掛けて、上の畠《はたけ》の方から降りて来た。
 夕飯時を報《しら》せる寺の鐘が谷間に響き渡った。達雄は、縁先から、自分の家に附いた果樹の多い傾斜を眺めて、一杯は客の為に酌《く》み、一杯はよく働いてくれる大番頭の為に酌み、一杯は自分の健康の為に酌んだ。
「何卒《どうか》して、まあ、若旦那にも好いお嫁さんを……」と嘉助は旦那から差された盃《さかずき》を前に置いて、「早く好いところから貰って上げて、一同安心いたしまするように……これが何よりも御家の堅めで御座いまするで」
「そのお嫁さんだテ」とお種も力を入れる。
「どうもこの町には無いナア」と達雄は眉《まゆ》を動かして、快濶《かいかつ》らしく笑った。
 その時、お種は指を折って、心当りの娘を数えてみた。年頃に成る子は多勢あっても、いざ町から貰うと成ると、適当な候補者は見当らなかった。
「飯田の方の話よなし」とお種は嘉助の方を見て、「あれを一つお前に聞いて貰うぞい」
「ええ、あれは引受けた」と嘉助が言った。
 三吉は聞咎《ききとが》めて、「飯田の方に候補者でも有るんですか」
「ナニ、まだそうハッキリした話では無いんですがね、すこしばかり心当りが有って」と達雄は膝を動かす。
「聞き込んだ筋が好いもんですから」とお種も三吉に言い聞かせた。「今年の秋は、嘉助も彼地《あっち》へ行商に出掛けるで、序《ついで》に精《くわ》しく様子を探って貰うわい――吾家《うち》でお嫁さを貰うなんて、お前さん、それこそ大仕事なんですよ」
 この人達は、子と子の結婚を考える前に、先ず家と家の結婚を考えなければ成らなかった。
 何時の間にかお仙も母の傍へ来て、皆なの話に耳を傾けていた。やがて母が気が付いた頃は、お仙の姿が見えなかった。お種は起って行って、何気なく次の部屋を覗《のぞ》いて見た。
「お仙、そんなところで何をしてるや……」
 娘は答えなかった。
「この娘《こ》は、まあ、妙な娘だぞい。お嫁さんの話を聞いて哀《かな》しく成るような者が何処《どこ》にあらず」とお種は娘を慰撫《なだ》めるように。
「お仙ちゃん、どうしました」こう三吉が縁側のところから聞いた。
 お種は三吉の方を振返って見て、「お仙はこれで極く涙脆《なみだもろ》いぞや。兄さんに何か言われても直に涙が出る……」


 その晩、三吉は少量《すこし》ばかりの酒に酔ったと言って、表座敷の方へ横に成りに行き、嘉助も風呂を貰って入りに裏口の方へ廻った。奥座敷には達雄夫婦二人ぎりと成った。まだ正太は町から帰って来なかった。
 お種は立ちがけに、一寸《ちょっと》夫の顔を眺めて、「正太もあれで三吉叔父さんとは仲が好いぞなし――叔父さんには何でも話す様子だ」
「そうだろうナア。年齢《とし》から言っても、丁度好い友達だからナア」と達雄が答える。
「貴方はどう思わっせるか知らんが……私は三吉の今度来たのが彼の子の為めにも好からずと思って……」
「俺も、まあそう思ってる」
 この様な言葉を交換《とりかわ》した。不図、お種は洋燈《ランプ》の置いてある方へ寄って、白い、神経質らしい手を腕の辺まで捲《まく》って見て、蚤《のみ》でも逃がしたように坐っていたところを捜す。
「痒《かゆ》い痒いと思ったら、こんなに食いからかいて」とお種は単衣《ひとえ》の裾《すそ》の方を掲《から》げながら捜してみた。
「そうどうも苦にしちゃ、えらい」と達雄は笑った。
「一匹居ても、私は身体中ゾクゾクして来る」
 こうお種は言って、若い時のような忍耐《こらえしょう》は無くなったという風で、やがて笑いながら台所の方へ出て行った。
 三吉が東京から訪ねて来たことは、達雄に取っても嬉しかった。彼は親身《しんみ》の兄弟というものが無い人で、日頃お種の弟達を実の兄弟のように頼もしく思っている。三吉が来た為に、種々《いろいろ》話が出る。話が出れば出るほど、種々な心地《こころもち》が引出される。子に対する達雄の心配も一層深く引出された形である。
 平素潜んでいたようなことまで達雄の胸に浮んで来た。先代が亡くなったのは、彼がまだ若かった時のことで。その頃は嘉助同格の支配人が三人も詰切って、それを薬方《くすりかた》と称《とな》えて、先祖から伝わった仕事は言うに及ばず、経済から、交際まで、一切そういう人達でこの橋本の家を堅めていた。彼もまた、青年の時代には、家の為に束縛されることを潔《いさぎよ》しとしなかったので、志を抱《いだ》いて国を出たものである。白髪の老母や妻子を車に載せて、再びこの山の中へ帰って来るまでには、何程の波瀾を経たろう。長い間かかって地盤を築き上げた先祖の事業《しごと》は彼が半生の努力よりも根深かった。先祖は失意の人の為に好い「隠れ家」を造って置いてくれた。彼は家附の支配人の手から、退屈な事業を受取ってみて、はじめて先祖の畏敬《いけい》すべきことを知ったのである。
「丁度正太が自分の若い時だ」と達雄は自分で自分に言った。「いや、自分以上の空想を抱いて、この家を壊《こわ》しかけているのだ」と思った。彼は、自分の子が自分の自由に成らないことを考えて、その晩は定時《いつも》より早く、可慨《なげかわ》しそうに寐床《ねどこ》へ入った。家のものが皆な寝た頃、お種は雪洞《ぼんぼり》を点《とも》して表座敷の方へ見に行った。三吉と直樹とは最早《もう》枕を並べて眠っていたが、まだ正太は帰らなかった。お種は表庭から門のところへ出て、押せば潜《くぐ》り戸《ど》の開くようにして置いた。厳《きび》しい表庭の戸締も掛金だけ掛けずに置いたは、可愛い子の為であった。

        二

 大森林に連続《つづ》いた谷間《たにあい》の町でも、さすがに暑い日は有った。三吉は橋本の表座敷に籠《こも》って、一夏かかって若い思想《かんがえ》を纏《まと》めようとしていた。姉は仕事に疲れた弟を慰めようとして、暇のある時は、この家に伝わる陶器、漆器、香具《こうぐ》の類《たぐい》などを出して来て見せた。ある日、お種は大きな鍵《かぎ》を手にしながら、裏の土蔵の方へ弟を導いて行った。
 高い白壁の隣には、丁度物置蔵と反対の位置に、屋根の低い味噌蔵《みそぐら》がある。姉はその前に立って、大きな味噌|桶《おけ》を弟に覗《のぞ》かせて、毎日食膳に上る手製の醤油《たまり》はその中で造られることなどを話して、それから厳重な金網張の戸の閉った土蔵の内部《なか》へ三吉を案内した。
 二階は広く薄暗かった。一方の窓から射し込む光線は沢山《たくさん》積んである本箱や古びた道具の類を照らして見せた。姉は今一つの窓をも開けて、そこにあるのは祖母《おばあ》さんが嫁に来た時の長持、ここにあるのは自分の長持、と弟に指して話し聞かせた。三吉は自由に橋本の蔵書を猟《あさ》ることを許された。
 姉は出て行った。三吉は本箱の前を彼方是方《あちこち》と見て廻った。その時、彼は未だ自分の生れた家の焼けない前に一度帰省して阿爺《おやじ》の蔵書を見たことを思出して、それをこの家のに比べてみた。ここのはそれ程豊富では無かった。三吉の阿爺が心酔したような本居《もとおり》派の学説に関する著述だの、万葉や古事記の研究だの、和漢の史類だの、詩歌の集だの、そういうものは少なかったが、そのかわり橋本の家に特有な武術、武道などのことを書いた写本が沢山ある。経書《けいしょ》、子類《しるい》もある。誰が集めたものか漢訳の旧約全書などもある。見て行くと、三吉の興味を引くような書目は少なかった。窓に寄せて、大きな柳行李《やなぎごうり》の蓋《ふた》が取ってあって、その中に達雄の筆で表題を書いたものが幾冊か取散してある。旧《ふる》い日記だ。何気なく三吉はその一冊を取上げて見た。
 直樹の父親の名なぞが出て来た。それは三吉が姉と一緒に東京で暮した頃の事実《こと》で、ところどころ拾って読んで行くうちに、少年時代の記憶が浮び揚《あが》った。その頃は姉の住居《すまい》でもよく酒宴を催したものだった。直樹の父親が来て、「木曾のナカノリサン」などを歌い出せば、達雄は又、清《すず》しい、恍惚《ほれぼれ》とするような声で、時の流行唄《はやりうた》を聞かせたものだった。直樹の父親もよく細《こまか》い日記をつけた。これはそう細いという方でもないが、何処《どこ》か成島柳北《なるしまりゅうほく》の感化を思わせる心の持方で、放肆《ほしいまま》な男女《おとこおんな》の臭気《におい》を嗅《か》ぐような気のすることまで、包まず掩《おお》わずに記しつけてある。思いあたる事実《こと》もある。
 静かな蔵の窓の外には、熱い明るい空気を通して庭の草木も蒸されるように見える。三吉はその窓のところへ行って、誰がこの柳行李の蓋を取て置いたかと想像した。あるいは正太がこの隠れた場処で、父の耽溺《たんでき》の歴史を読みかけて置いたものではなかろうか、と想《おも》ってみた。


 重い戸を閉めて置いて、三吉は蔵の石階《いしだん》を下りた。前には葡萄棚《ぶどうだな》や井戸の屋根が冷《すず》しそうな蔭を成している。横にある高い石垣の側からは清水も落ちている。心臓形をした雪下《ゆきのした》の葉もその周囲《まわり》に蔓延《はびこ》っている。
 この場所を択《えら》んで、お仙は盥《たらい》を前に控えながら、何か濯《すす》ぎ物を始めていた。下婢《おんな》のお春も井戸端に立って、水を汲《く》んでいた。お春は、ちょっと見たところこう気むずかしそうな娘で、平常《しょっちゅう》店の若い番頭や手代の顔を睨《にら》み付けるような眼付をしていたが、しかしそれは彼女が普通の下女奉公と同じに見られまいとする矜持《ほこり》からであった。こうして、お仙相手に立話をしている時なぞは、最早《もう》年頃の娘らしさが隠されずにある。彼女とても、濃情な土地の女の血を分けた一人である。
 三吉はお仙に言葉を掛けて、暫時《しばらく》そこに立っていた。丁度正太が、植木いじりでもしたという風で、土塗《つちまみ》れの手を洗いに来た。お春は言付けられて、釣瓶《つるべ》から直《じか》に若旦那の手へ水を掛け
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