思います」
 西は記者の横顔を眺めた。
 記者は嘆息して、三吉の方を見た。「貴方なぞは仕事を成さる時に、何かこう自然から借金でも有って、日常《しょっちゅう》それを返さなけりゃ成らない、と責められて、否応《いやおう》なしに成さるようなことは有りませんか――私はね、それで苦しくって堪《たま》りません。自分が何か為《し》なければ成らない、と心で責められて、それで仕方なしに仕事を為ているんです。仕事を為ないではいられない。為《す》れば苦しい。ですから――ああああ、毎日々々、彼方是方《あっちこっち》と馳《かけ》ずり廻って新聞を書くのかナア――そんなことをして、この生涯が何に成る――とまあ思うんです」
「そりゃあ君、確かに新聞記者なぞを為ている故《せい》だよ」と西が横槍《よこやり》を入れた。「廃《よ》してみ給え――新聞を長く書いてると、必《きっ》とそういう病気に罹《かか》る」
「ところがそうじゃ無いねえ」と記者は力を入れて、「私もすこしは楽な時が有って、食う為に働かんでも可いという時代が有りました。やっぱり駄目です。今私が新聞屋を廃《や》めて、学校の教員に成ってみたところが、その生涯がどうなる……畢竟《つまり》心に休息の無いのは同じことです」
「それは、君、男の遺伝性の野心だ。野心もそういう風に伝わって来れば、寧《むし》ろ尊いサ」と西が笑った。
「そうかナア」と記者は更に嘆息して、「――所詮《とても》自然を突破るなんてことは出来ない。突破るなら、死ぬより外に仕方が無い。そうかと言って、自然に従うのは厭《いや》です。何故厭かと言うに、あまり残酷じゃ有りませんか……すこしも人を静かにして置かないじゃ有りませんか……私は、ですから、働かなけりゃ成らんという心持から退《の》いて、書籍《ほん》も読みたければ読む、眠たければ眠る、という自由なところが欲しいんです」
「僕もそう思うことが有るよ」と西は記者の話を引取った。「有るけれども、言わないのサ――言うと、ここの主人に怒られるから――小泉君は、働くということに一種の考えが有るんだねえ。僕は疾《とう》からそう思ってる」
「実際――Lifeは無慈悲なものです」
 と復た記者が言った。
「君、君」と西は記者の方を見て、「真実《ほんとう》に遊ぶということは、女にばかり有ることで、男には無いサ。み給え――小説を読んでさえそうだ、只《ただ》は読まない――何かしらに仕ようという気で、既に読んでるんだ。厭だね、男の根性という奴は。ホラ、あのゾラの三ヵ条――生きる、愛する、働く――厭な主義じゃないか。ツマラない……」
「小泉さんはこういう処にいらしって、御寂《おさみ》しくは有りませんか」と記者が聞いた。
「そりゃあ君、細君の有る人と無い人とは違うからね」
 こう西が戯れるように言出したので、思わず三吉は苦笑《にがわらい》した。


「そこだよ」と記者は言葉を続けた。「細君が有れば寂しくは無いだろうか。細君が有って寂しくないものなら、僕はこうやって今まで独身などで居やしない――しかも、新聞屋の二階に自炊なぞをして、クスブったりして――」
 西は話頭《はなし》を変えようとした。で、こんな風に言ってみた。「男が働くというのも、考えてみれば馬鹿々々しいサ。畢竟《つまり》、自然の要求というものは繁殖に過ぎないのだ」
「そうすれば、やっぱり追い使われているんだね。鳥が無心で何の苦痛も知らずに歌うというようには、いかないものかしら……」と記者が言った。
「鳥だって、み給え、対手《あいて》を呼ぶんだと言うじゃないか。人間でも、好い声の出る者が好い配偶を得るという訳なんだろう……ところが人間の頭数が増えて来たから、繁殖ということばかりが仕事で無くなって来たサ――だから、自分の好きな熱を吹いて、暮しても、生きていられるのが今の世の中サ」
「何だか僕等の生涯は夢らしくて困る」
「いずくんぞ知らん、日本国中の人の生涯は皆な夢ならんとはだ」
 三吉は黙って、この二人の客の話を聞いていた。その時記者は沈んだ、痛ましそうな眼付をして、西の方を見た。西は目を外《そら》した。しばらく、客も主人《あるじ》も煙草《たばこ》ばかり燻《ふか》していた。
 お房が覗《のぞ》きに来た。
「房《ふう》ちゃん、被入《いら》っしゃい」
 と西が見つけて呼んだ。お房は恥かしそうに、母のかげに隠れた。やがて母に連れられて、菓子皿の中にある物を貰いに来た。
「お客様にキマリが悪いと見えて、母さんの後であんがとうしてます」と言ってお雪は笑った。
 西は二度も三度も懐中時計を取出して眺めた。
「君は何時《なんじ》まで居られるんだい。なんなら泊って行っても可いじゃないか」と三吉が言った。
「ああ難有《ありがと》う」と西は受けて、「今夜僕の為に歓迎会が有るというんで、どうしても四時半の汽車には乗らなくちゃ成らない。今夜はいずれ酒だろうから、僕はあまり難有くない方だけれど――それに、明日はいよいよ演説をやる日取だ」
「それにしても、まあユックリして行ってくれ給え」
「あの時計は宛《あて》に成らない」と西は次の部屋に掛けてある柱時計と自分のとを見比べた。「大変後れてるよ」
「アア吾家《うち》のは後れてる」と三吉も答えた。
 お雪はビイルに有合せの物を添えて、そこへ持って来た。「なんにも御座いませんけれど、どうか召上って下さい」と彼女が言った。三吉も田舎料理をすすめて、久し振で友人をもてなそうとした。
「こりゃどうも恐れ入ったねえ。僕は相変らず飲めない方でねえ」と西は言った。「しかし、気が急《せ》いて不可《いけない》から、遠慮なしに頂きます」
 三吉は記者にもビイルを勧めた。「長野の新聞の方には未だ長くいらっしゃる御積りなんですか」
「そうですナア、一年ばかりも居たら帰るかも知れません……是方《こっち》に居ても話相手は無し、ツマリませんからね……私は信濃《しなの》という国には少許《すこし》も興味が有りません」こう記者が答えた。
 西はめずらしそうに、牛額《うしびたい》と称する蕈《きのこ》の塩漬などを試みながら、「僕は碓氷《うすい》を越す時に――一昨日《おととい》だ――真実《ほんと》に寂しかったねえ。彼方《あそこ》までは何の気なしに乗って来たが、さあ隧道《トンネル》に掛ったら、旅という心地《こころもち》が浮いて来た。あの隧道を――君、そうじゃないか――誰だって何の感じもしないで通るという人は有るまいと思うよ。小泉君が書籍《ほん》を探しに東京へ出掛けて、彼処を往ったり来たりする時は、どんな心地だろう」


 客を見送りながら、三吉は名残《なごり》惜しそうに停車場まで随《つ》いて行った。寒く暗い停車場の構内には、懐手《ふところで》をした農夫、真綿帽子を冠《かぶ》った旅商人、それから灰色な髪の子守の群などが集っていた。
 西と三吉とは巻烟草《まきたばこ》に火を点けた。記者もその側に立って、
「僕が初めて西君と懇意に成ったのは、何時《いつ》頃だっけね。そうだ、君が大学へ入った年だ。僕はその頃、新聞屋仲間の年少者サ――二十の年だっけ――その頃に最早天下の大勢なんてことを論じていたんだよ」
「今は余程《よっぽど》分っていなくちゃならない――ところが、君、やっぱり今でも分らないんだろう」と西が軽く笑った。
 記者は玉子色の外套の隠袖《かくし》へ両手を入れたまま、反返《そりかえ》って笑った。やがて、すこし萎《しお》れて、前曲《まえこご》みに西の方を覗《のぞ》くようにしながら、
「その頃と見ると、君も大分変った」
 と言われて、西は黙って記者を熟視《みつめ》た。三吉は二人の周囲《まわり》を歩いていた。
 三人は線路を越して、下りの汽車を待つべきプラットフォムの上へ出た。浅間へは最早雪が来ていた。
「寒い寒い」と西は震えながら、「僕は汽車の中で凍え死ぬかも知れないよ」
「すこし歩こう」と三吉が言出した。
「そうだ。歩いたら少しは暖かに成る」と言って、西は周囲《あたり》を眺め廻して、「この辺は大抵僕の想像して来た通りだった」
 三吉は指《ゆびさ》して見せた。「あそこに薄《うっ》すらと灰紫色に見える山ねえ、あれが八つが岳だ。ずっと是方《こっち》に紅葉した山が有るだろう、あの崖《がけ》の下を流れてるのが千曲川《ちくまがわ》サ」
「山の色はいつでもあんな紫色に見えるのかい。もっと僕は乾燥した処かと思った」
「今日は特別サ。水蒸気が多いんだね。平常《いつも》はもっとずっと近く見える」
「それじゃ何ですか、あれが甲州境の八つが岳ですか――あの山の向が僕の故郷です」と記者が言った。
「へえ、君は甲州の方でしたかねえ」と西は記者の方を見た。
「ええ、甲州は僕の生れ故郷です……ああそうかナア、あれが八つが岳かナア。何だか急に恋しく成って来た……」と復《ま》た記者が懐《なつ》かしそうに言った。
 三人は眺め入った。
「小泉君」と西は思出したように、「君は何時《いつ》までこんな山の上に引込んでいる気かネ……今の日本の世の中じゃ、そんなに物を深く研究してかかる必要は無いと思うよ」
 三吉は返事に窮《こま》った。
「しかし、新聞屋さんもあまり感心した職業では無いね」と西は言った。
「君は又、エジトルだって、そう見くびらなくッても可いぜ」と記者が笑った。
 西も笑って、「あんなツマラないことは無いよ。み給え、新聞を書く為に読んだ本が何に成る。いくら読んだって、何物《なんに》も後へ残りゃしない。僕は、まあ、厭だねえ。君なんかも早く切上げて了いたまえ」
「君はそういうけれど、僕は外に仕方が無いし……生涯エジトルで暮すだろう……これも悪縁でサ」と言って、記者は赤皮の靴を鳴らして、風の寒いプラットフォムの上を歩いてみた。
 下りの汽車が来た。少壮《としわか》な官吏と、少壮な記者とは、三吉に別れを告げて、乗客も少ない二等室の戸を開けて入った。
「この寒いのに、わざわざ難有う」
 と西は窓から顔を出して言った。車掌は高く右の手を差揚げた。列車は動き初めた。長いこと三吉はそこに佇立《たたず》んでいた。


 黄ばんだ日が映《あた》って来た。収穫《とりいれ》を急がせるような小春の光は、植木屋の屋根、機械場の白壁をかすめ、激しい霜の為に枯々に成った桑畠《くわばたけ》の間を通して、三吉の家の土壁を照した。家毎に大根を洗い、それを壁に掛けて乾すべき時が来た。毎年山家での習慣とは言いながら、こうして野菜を貯えたり漬物の用意をしたりする頃に成ると、復た長い冬籠《ふゆごもり》の近づいたことを思わせる。
 隣の叔母さんは裏庭にある大きな柿の樹の下へ莚《むしろ》を敷いて、ネンネコ半天を着た老婆《おばあ》さんと一緒に大根を乾す用意をしていた。未だ洗わずにある大根は山のように積重ねてあった。この勤勉な、労苦を労苦とも思わないような人達に励まされて、お雪も手拭《てぬぐい》を冠り、ウワッパリに細紐《ほそひも》を巻付けて、下婢《おんな》を助けながら働いた。時々隣の叔母さんは粗末な垣根のところへやって来て、お雪に声を掛けたり、お歯黒の光る口元に微笑《えみ》を見せたりした。下婢は酷《ひど》い荒れ性で、皸《ひび》の切れた手を冷たい水の中へ突込んで、土のついた大根を洗った。
「地大根」と称えるは、堅く、短く、蕪《かぶ》を見るようで、荒寥《こうりょう》とした土地でなければ産しないような野菜である。お雪はそれを白い「練馬《ねりま》」に交ぜて買った。土地慣れない彼女が、しかも身重していて、この大根を乾すまでにするには大分骨が折れた。三吉も見かねて、その間、子供を預った。
 日に日に発育して行くお房は、最早親の言うなりに成っている人形では無かった。傍に置いて、三吉が何か為《し》ようとすると、お房は掛物を引張る、写真|挾《ばさみ》を裂く、障子に穴を開ける、終《しまい》には玩具《おもちゃ》にも飽いて、柿の食いかけを机になすりつけ、その上に這上《はいあが》って高い高いなどをした。すこしでも相手に成っていなければ、お房が愚図々々言出すので、三吉も弱り果てて、鏡や櫛箱《くしばこ》の置い
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