と老人はホッと息を吐《つ》くように言った。
 南向の部屋の柱には、新しい時計が懸った。そして音がし出した。若夫婦へ贈る為に、わざわざ老人が東京から買って提《さ》げて来たのである。これは母から、これは名倉の姉から、これは※[#「※」は「○の中にナ」、97−7]の姉から、と種々な土産物《みやげもの》がそこへ取出された。
 煤《すす》けた田舎風の屋《うち》の内《なか》を見て廻った後、老人は奥の庭の見える座敷に粗末な膳《ぜん》を控えた。お雪やお福のいそいそと立働くさまを眺めたり、水車の音を聞いたりしながら、手酌でちびりちびりやった。
「何卒《どうぞ》もうすこしも関《かま》わずに置いて下さい。私はこの方が勝手なんで御座いますから」
 と老人が言った。何がなくともお雪の手製《てづくり》のもので、この酒に酔うことを楽みにして来たことなどを話した。
 三吉は炉辺へお雪を呼んで、
「何かもうすこし阿爺さんに御馳走《ごちそう》する物はないかい」
「あれで沢山です」とお雪が言う。
「こんな田舎じゃ何物《なんに》も進《あ》げるようなものが無い。罐詰《かんづめ》でも買いにやろうか」
「宜《よ》う御座んすよ。それに、阿爺さんは後から何か持って行ったって、頂きやしません」
 幼少の時父に別れた三吉は、こういう老人が訪ねて来たことを珍しく嬉しく思った。父というものは彼がよく知らないようなもので有った。三吉が何時《いつ》までも亡くなった忠寛を畏《おそ》れているように、お雪やお福は又、この老人を畏れた。


 名倉の父は二週間ばかり逗留《とうりゅう》して、東京の学校の方へ帰るお福を送りながら、一緒に三吉の家を発《た》って行った。この老人は橋本の姉や小泉の兄の方に無いようなものを後へ残して行った。そして、亡くなった忠寛が手本を残しておいた家の外《ほか》に、全く別の技師が全く別の意匠で作った家もある、ということを三吉に思わせた。「こんな書籍《ほん》を並べて置いたって、売ると成れば紙屑《かみくず》の値段《ねだん》だ」――こう言うほど商人気質《しょうにんかたぎ》の父ではあったが、しかし三吉はこの老人の豪健な気象を認めずにはいられなかった。
 翌年の五月には、三吉夫婦はお房という女の児《こ》の親であった。書生は最早居なかった。手の無い家のことで、お雪は七夜《しちや》の翌日から起きて、子供の襁褓《むつき》を洗った。その年の初夏ほど、三吉も寂しい旅情を経験したことは無かった。奥の庭には古い林檎の樹があって、軒に近い枝からは可憐《かれん》の花が垂下った。蜜蜂《みつばち》も来て楽しい羽の音をさせた。すべての物の象《かたち》は、始めて家を持った当時の光景《ありさま》に復《かえ》って来た。
「俺の家は旅舎《やどや》だ――お前は旅舎の内儀《おかみ》さんだ」
「では、貴方は何ですか」
「俺か。俺はお前に食物《くいもの》をこしらえて貰ったり、着物を洗濯して貰ったりする旅の客サ」
「そんなことを言われると心細い」
「しかし、こうして三度々々御飯を頂いてるかと思うと、難有《ありがた》いような気もするネ」
 こんな言葉を夫婦は交換《とりかわ》した。
 ヒョイヒョイヒョイヒョイと夕方から鳴出す蛙の声は余計に旅情をそそるように聞える。それを聞くと、三吉は堪え難いような目付をして、家の内を歩き廻った。
 新婚の当時のことは未だ三吉の眼にあった。東京を発って自分の家の方へ向おうとする旅の途中――岡――躑躅《つつじ》――日の光の色――何もかも、これから新しい生涯に入ろうとするその希望で輝かないものは無かった。洋燈《ランプ》の影で書籍《ほん》を読みながら聞いた未だ娘のような妻の呼吸――それも三吉の耳にあった。彼は女というものを知りたいと思うことが深かったかわりに、失望することも大きかったのである。
 どうかすると、三吉は往時《むかし》の漂泊時代の心に突然帰ることが有った。お雪が勝手をする間、子供を預けられて、それを抱きながら家の内を歩いている時、急に子も置き、妻も置いて、自分の家を出て了おうかしらん、こんな風に胸を突いて湧《わ》き上って来ることも有った。
「好い児だ――好い児だ――ねんねしな――」
 眠たい子守歌をお房に歌ってやりながら三吉は自分の声に耳を澄ました。お雪はよく働いた。


 裏の畠には、前の年に試みた野菜の外に茄子《なす》、黄瓜《きうり》などを作り、垣根には南瓜《かぼちゃ》の蔓《つる》を這《は》わせた。ある夕方、三吉が竹箒《たけぼうき》を持って、家の門口を掃除したり、草むしりをしたりしていると、そこへ来て風呂敷包を背負った旅姿の人が立った。
 橋本の大番頭、嘉助が行商の序《ついで》に訪ねて来たのであった。毎年の例で、遠く越後路から廻って来たという。この番頭の日に焼けた額や、薬を入れた籠《つづら》の荷物を上《あが》り端《はな》のところへ卸した様子は、いかに旅の苦痛に耐えて、それに又慣らされているかということを思わせる。嘉助は草鞋《わらじ》の紐《ひも》を解いて上った。
「是方《こちら》でも子供衆が出来さっせえて、御新造さんも手が有らっせまいで、寄るだけは寄れ、御厄介には成るな――こう姉様《あねさま》から言付かって来ました」と嘉助が言った。
「まあ、そんなことを言わなくても可い。是非泊って行って下さい、姉さんの家の話も種々《いろいろ》伺いたい」
 と三吉は引留めて、一年に一度ずつ宿をすることに定《き》めていると言った。お雪も勝手の方から飛んで来た。
 嘉助は橋本の家を出て最早《もう》足掛二月に成るという。この長い行商の旅は、ずっと以前から仕来《しきた》ったことで、橋本の薬といえば三吉が住む町のあたりまで弘まっていた。燈火《あかり》の点く頃から、お雪も嘉助の話を聞こうとして、子供を抱きながら夫の傍へ来た。
「女のお児さんかなし。子供衆の持薬《じやく》には極く好いで、すこし置いていかず」
 こう嘉助が言って、土産がわりに橋本の薬を取出した。
「貴方のところでもお嫁さんがいらしったそうで……」とお雪は正太の細君のことを言った。「豊世さんでしたね」と三吉も引取て、「吾家《うち》へも手紙を貰いましたが、なかなか達者に好く書いてありましたッけ」
「ええ、まあ、御蔭様で好いお嫁さんを見つけました。あれ位のお嫁さんは探したってそう沢山《たんと》無い積りだ。大旦那始め皆な大悦びよなし……」
 と言って、嘉助は禿頭《はげあたま》を撫《な》でた。正太が結婚について、いかに壮《さか》んな式を挙げたかということは、この番頭の話で略《ほぼ》想像された。
「嘉助さんが褒《ほ》める位だから、余程好いお嫁さんに相違ないぜ」
「正太さんも御仕合ですこと」
 こんな言葉を、三吉夫婦は番頭の聞いていないところで交換《とりかわ》した。
 翌朝《よくあさ》早く嘉助は別離《わかれ》を告げて発った。その朝露を踏んで出て行く甲斐々々《かいがい》しい後姿は、余計に寂しい思を三吉の胸に残した。
 三吉は東京の方の空を眺めて、種々な友達から来る音信《たより》を待ち侘《わ》びる人と成った。学校がひける、門を出る、家へ帰ると先ず郵便のことを尋ねる。毎日顔を突合せている同僚の教師の外には、語るべき友も無かった。
 お雪の友達にもと思って三吉が紹介した一人の婦人からは、結婚の報知《しらせ》が来た。三吉は又曾根からも山の上へ避暑に行こうと思うという手紙を受取った。

        六

 停車場《ステーション》の方で汽車の音がする。
 山の上の空気を通して、その音は南向の障子に響いて来た。それは隅田川《すみだがわ》を往復する川蒸汽の音に彷彿《そっくり》で、どうかするとあの川岸に近い都会の空で聞くような気を起させる。よく聞けばやはり山の上の汽車だ。三吉はそれを家のものに言って、丁度離れた島に住む人が港へ入る船の報知《しらせ》でも聞くように、濡縁《ぬれえん》の外まで出て耳を立てた。新聞にせよ、手紙にせよ、新しい書籍《ほん》の入った小包にせよ、何か一緒に置いて行くものはその音より外に無かった。三吉は曾根から来た手紙のことを胸に浮べた。最早《もう》山の上に来ているかしらん、とも思った。
 曾根が一夏を送りたいと言って寄《よこ》したは、三吉夫婦が住む町とは五里ばかり離れたところにある避暑地である。同じ山つづきの高原の上で、夏は人の集る場所である。
 東京へ行った学生達はポツポツ帰省する頃のことであった。三吉の家へは、復《ま》たお福がやって来ていた。
 丁度三吉も半日しか学校のない日で、外出する用意をして、炉辺で昼飯《ひる》をやった。
「何処《どちら》へ?」とお雪は給仕しながら尋ねてみた。
「曾根さんが来てるか行って見て来ようと思う」こう三吉は答えた。
「最早いらしったんでしょうか」とお雪は夫の顔を眺める。
「居るか居ないか解らんがね、まあ遊びがてら行って見て来る」
 三吉が曾根を妻に紹介して、二人の女の間を結び付けようとしたのは、家庭の友として恥かしからぬ人と思ったからで。曾根は音楽に一生を托《たく》しているような婦人で、三吉が向いて行こうとする方面にも深く興味を有《も》っていた。言わば、三吉には、自分を知ってくれる人の一人と思われた。この思想《かんがえ》が彼を喜ばせた。
 しかし、お雪はあまり喜ばないという風であった。三吉が曾根のことを言って、彼女の身内が悲惨な最期を遂げた時に、それを独《ひと》りで仕末したという話をして、「どうして、お前なかなかシッカリモノだぜ」などと言って聞かせると、「その話を聞くのはこれで三度目です」とか何とかお雪の方では笑って、「最早《もう》沢山」という眼付をする。お雪は曾根を知ろうともしなかった。どうしてこう女同志は友達に成れないものかしらん、と三吉は嘆息することも有った。
 三吉は妻の狭い考えを笑った。そして、男とか女とかということを離れて、もっと種々な人を知りたいと思った。
「何卒《どうぞ》、御|逢《あ》いでしたら宜敷《よろしく》」
 こういう妻の言葉を聞捨てて、三吉は出て行った。暑い日であった。


 曾根の宿を探しあぐんで、到頭三吉は分らず仕舞に自分の家の方へ引返した。ギラギラするような日光を通して見た避暑地の光景《ありさま》は、三吉の心を沈着《おちつ》かせなかった。彼は種々な物の象《かたち》を眼に浮べながら帰って来た――ところどころに新築された別荘、赤く塗った窓、蕃牡丹畠《キャベツばたけ》……それから古い駅路の両側にある並木、その蔭を往来する避暑客、金色な髪の子供を連れて歩く乳母……
 三吉は又、はじめて曾根を知った当時のことを想《おも》いながら帰って来る人であった。多勢若い男や女の居る部屋で、ふと曾根は三吉の傍へ来て、亡くなった友達のことを尋ねた。机の上には、短い曲の譜があった。「神の意《こころ》のままに」という題で、男女《おとこおんな》の別離《わかれ》を歌ったものだった。メンデルソオンの曲だ。その一節を、曾根は極く小さい震えるような声で歌って聞かせた。音楽者の癖で、曾根が手の指は無心に洋琴《ピアノ》の鍵盤に触れるように動いた。これはそう旧《ふる》いことでも無かった。急に、三吉はこの人と親しみを増すように成った。十年一日のような男同士の交際とは違って、何故《なぜ》かこう友情を急がせるようなところもあった。
 垣根に這《は》わせた南瓜《かぼちゃ》は最早盛んに咲く頃であった。その大きな黄色い花に添うて、三吉は往来の方から入って来た。家には珍しい客が待っていた。
「直樹さん――」思わず三吉は微笑《ほほえ》んで言った。
「兄さんのお留守へやって参りました」と直樹も出て迎えた。
 この中学生は、三吉が一緒に木曾路《きそじ》を旅した頃から比べると、見違えるほど成人していた。丁寧な口の利《き》きようからして、いかにも都会に育った青年らしい。丁度この直樹位の年頃の生徒を毎日学校で相手にしている三吉には、余計にその相違が眼についた。直樹は父の許を得て、暑中休暇を三吉の家で送ろうとして来たのである。
 日頃親身の弟のように思う人が
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