余儀なくされた。
 ある日、実は弟に見せる物が有ると言って、例の奥座敷へ三吉を呼んだ。
「三吉さん――私もすこし兄さんに御話したいことが有る。御手間は取らせませんから、先へ私に話させて下さいな」
 こう稲垣の細君が来て言って、三吉と一緒に実の居る方へ行った。実は直に細君の用事ありげな顔付きを看《み》て取った。
 稲垣の細君は何遍か言淀《いいよど》んだ。「そりゃもう、皆さんの成さる事業《こと》ですから、私が何を言おうでは有りませんが……何時まで待ったら験《けん》が見えるというものでしょう。どうも吾夫《やど》の話ばかりでは私に安心が出来なくて……」
「ああ、車の方の話ですか」と実はコンコン咳《せき》をした後で言った。「ちゃんと技師に頼んで有りますからね。そんな心配しなくても、大丈夫」
「いえ――吾夫《やど》でも、小泉さんに御心配を掛けては済まない、そのかわり儲《もう》けさして頂く時には――なんて、そう言い暮しましてね。実際|吾夫《やど》も苦しいもんですから、田舎から出て来た母親《おっか》さんを欺《だま》すやら、泣いて見せるやら、大芝居をやらかしているんですよ」
「お金の要ることが有りました
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