。この娘は、髪も未だそう黒くならない年頃で、鬢《びん》のあたりは殊《こと》に薄かった。毎朝|美男葛《びなんかずら》で梳付《ときつ》けて貰って、それから学校へ行き行きしていた。
「お俊ちゃん、毎晩画を御習いですか」と稲垣はお俊の方を見て、「此頃《こないだ》習ったのを見て、驚いちまいました。どうしてああウマく描けるんでしょう」
「可笑《おか》しいんですよ」とお倉も娘の顔を眺めながら、「田舎娘だなんて言われるのが、どの位厭だか知れません――それを言われようものなら、プリプリ怒って了います」
「よくッてよ」とお俊は母の身体を動《ゆす》ぶるようにする。
「私の許《とこ》の娘もね」と稲垣はそれを言出さずにいられなかった。「お俊ちゃんが画をお習いなさるというから、西洋音楽でも習わせようかと思いまして……ピアノでも……ええ、三味線《しゃみせん》や踊を仕込むよりもその方が何となく高尚ですから……」
 稲垣の話は毎時《いつでも》自分の娘のことに落ちて行った。それがこの人の癖であった。
「どれ程稲垣は娘が可愛いか知れない」と宗蔵は稲垣の出て行った後で言った。「あの男の御世辞と来たら、堪《こた》えられないよう
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