なことを言うが……しかし、正直な男サ」


 宗蔵と三吉との年齢《とし》の相違《ちがい》は、三吉と正太との相違であった。この兄弟の生涯は、喧嘩《けんか》と、食物《くいもの》の奪合と、山の中の荒い遊戯《あそび》とで始まったようなもので。実に引連れられて東京へ遊学に出た頃は、未だ互に小学校へ通う程の少年であった。丁度それは二番目の兄の森彦が山林事件の総代として始めて上京して、当時|流行《はや》った猟虎《らっこ》の帽子を冠りながら奔走した頃のことで。その後、宗蔵の方は学校からある紙問屋へ移った。そこに勤めている間、よく三吉も洗濯物を抱《かか》えて訪ねて行くと、盲目縞《めくらじま》の前垂を掛けた宗蔵がニコニコして出て来て、莚包《こもづつみ》の荷物の置いてある店の横で、互に蔵の壁に倚凭《よりかか》りながら、少年らしい言葉を取換《とりかわ》した。「宗様、宗様」と村中の者に言われて育って来た奉公人の眼中には、大店《おおだな》の番頭もあったものではなかった。何か気に喰《く》わぬことを言われた口惜《くやし》まぎれに、十露盤《そろばん》で番頭の頭をブン擲《なぐ》ったのは、宗蔵が年季奉公の最後の日であった。
前へ 次へ
全293ページ中68ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング