して、それどこじゃない」と嘉助も引取って、「三吉様はこれで何度|郷里《くに》へ帰らッせるなし」
「僕ですか、ずっと前に老祖母《おばあ》さんの死んだ時に一度、母親《おっか》さんの葬式の時に一度――今度で三度目です」と三吉が言う。
「彼《あれ》は八歳《やっつ》の時分に郷里《くに》を出たッきりよなし」とお種は嘉助の方を見て。
「これで、旧《むかし》の家でも焼けずに在ると、帰る機会が多いんだがナア」と達雄も快濶《かいかつ》らしく笑った。
 前の晩のうちに頼んで置いた乗合馬車の馬丁《べっとう》が、その時、庭口へ声を掛けに来た。
「叔父さん、馬車が来ました」と正太が言って、叔父の手荷物を提《さ》げながら、一歩《ひとあし》先《さき》へ出て行った。
「では、私はここで御免蒙りますから――」とお種は炉辺で弟に別離《わかれ》を告げた。
「皆さんに宜敷《よろしく》――実にも御無沙汰《ごぶさた》するがッて、宜敷言っておくれや――お前さんもまあ折角《せっかく》御無事で――」
 挨拶《あいさつ》もそこそこに、三吉はお仙やお春などにも別れて、橋本の家を出た。達雄はそこまで見送ると言って、三吉と一緒に石段を降りた。

前へ 次へ
全293ページ中54ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング